7,10,2012
ここはウズベキスタンはタシケント。いろんな顔をした人が仲良く暮らす都市。
私は歴史がとても弱くて、ティムール朝とかモンゴル帝国とか、名前はわかるんだけど、その時間的な前後関係などが全然わからない。この辺のことって、軽くWikipediaを斜め読んだくらいではなかなか理解できないような気がする。私に理解できるのはせいぜい20世紀のことだから、タシケントにロシア人とか朝鮮人が住んでいるとか、そのくらいしか理解していないのだ。
どうやら、中央アジアからモンゴルあたりまでは、テュルク系の遊牧民な人々が昔から住んでいたらしい。それが1200年頃にモンゴルに征服されて、その後またテュルク系の人々が住んでいると。
サマルカンドの歴史だけ見ると、どうやら800年くらいまで、ソグド人というペルシャ系のアジア人が住んでいて、その後ウイグル人と共存するようになった。のちに1200年ころモンゴルの襲来があって、有名なティムール朝というのはその後1400年くらいにできた。その後はウズベクという人々が住んで、1800年代になるとロシアが入ってきて、その後政策などによって朝鮮やタタールといった人々も加わり、1991年にウズベキスタンは独立する。
これだけ見ても、テュルクと一言で済まされない人種の混ざり合いがあるし、果たしてテュルクっていうのが単一の民族なのかどうかもよくわからないよね。
ウズベク人はインド映画が大好きだ。インドチャンネルが独立して存在しているくらい。それは、もちろん顔が似ているというのもあるのだろう。先日、読んでいたブログで知ったのだけれど、タージマハルを作ったムガル帝国の創始であるバーブルは中央アジア出身、テムールおじいさんの子孫なんだそうだ。ウズベクがインドに似ているというより、インドがウズベクに似ていると言ったほうが正確だったかも知れない。
いつか機会があったら、中央アジアの歴史をきちんと教授されてみたい。そして何を聞かれても答えられるような人になりたい。
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