Twitterやめようかな、と思った話。
2009年1月あたりから使っていたTwitterアカウントをやめようかなと思いました。嫌なことがあってキレて消すみたいな理由ではありません。
理由
-タイムラインを見ても、日本で起きている些細な話題をめぐって噂したり議論したりしているのが目立って、外国に在住している自分には、どうにも他人事のような、あまり興味のあるコンテンツでは無くなってしまった。もっと当地(タシケントやロシア)寄りのメディアが読みたい。
-タイムラインを見ていると日本語とロシア語と英語が並んでいるのに、優先的に日本語ばかり熱中して読んでしまう。もっと外国語メディアが読みたい。
-好きな友達たちが日本語でコミュニケーションしている場所にいつでも戻っていけるのがかえって、外国に住みつつ心だけ日本にいる、もしくは東京に未練があるようで、良くないと思った。もっと当地(タシケント)の交友関係を重視したい。
-暇ができるとタイムラインを見る癖をつけてしまうと、せっかく外国にいるのに東京にいるようで実感がわかない。
-好きな友達たちが楽しそうに遊んでいるのを見るとちょっとうらやましい気持ちになる。
-日本語を書く場所はブログやFacebookもあるので、日本語で書く場所としてのTwitterが無くても困らない。
影響範囲
友達と連絡が取れなくなる
→Facebookとメールでいいんじゃないかな。もともと、本名でやってたので、Facebookで検索してもらえばすぐに連絡先が出てくる。
各種連携してるサービスへの影響
→InstagramとWhimsをTwitterアカウントで使っていたけど、独自でアカウント取れるのなら使うし、駄目なら暫く使わなくていい
自分の過去ログが消えてしまう?
→必要に応じて過去ツイートを見返したり参照したことが無いので、たぶんいらない。(遊びではしたことあるけど)
他の方法について
別にアカウントを消さなくても、リストを使ったり、フォローを整理して理想の環境にすればよかったじゃん?ていう指摘もあると思うのですけど、大事な友達のフォローをはずしたり、いちいちその理由を説明したり、800アカウントくらいのフォロー解除ボタンを全部押したりするのは効率的じゃなかったです。特に、こちらに理由あって友達のフォローをはずすのだとしても、外された相手に与える心理的な影響は大きいはず(嫌われたんじゃないか・何か悪いことをしたんじゃないかと思う人がいる)なので、ちょっとできなかったです。いくら友達とか好きな人でもフォローを外す場合がある、と宣言したところで、本当にそれをする場合のインパクトって結構大きいです。
今後について
Twitterを使うこと自体はやめないつもりなんですけど、今後は新しいアカウントを作って、露語・英語メディアの速報メインにチェックするような使い方になると思います。日本語のTwitterアカウントはしばらく見ません。原則フォロー返しもしないし、ROM中心になると思います。
感想
Twitterって、インターネットのインフラなんだけど、実際にはインターネットだけで成り立っているのではなくて、リアルを補完しているんじゃないかなって強く思いました。「Twitterがあるから離れていても繋がっている」のではなくて、「近くにいていつでも会える関係だからTwitterで連絡を取り合う」のではないかと。
東京のトレンドは東京のトレンドでしかなくて、他のエリアの人にはあまり興味のある話題じゃないっていうことに、離れてみて気づきました。東京にいる人たちは、東京のトレンドをめぐってお喋りをするんです。離れていても東京のトレンドに混ざりたいっていう人にはいいけど、そうでもない人にはどうでもよくなってしまう。
あとやっぱり、じゃあ今度会おうよ!みたいなオプションがあるから楽しいコミュニケーションなんであって、それが無ければ段々熱も冷めてくるんだなっていうのは新鮮な発見でした。私は私で、こちら(外地)に新しい交友関係があって、今はそっちのほうが楽しいコミュニケーションだったりします。もしもタシケントでもっとTwitterが流行っていたら、たぶん熱中していたでしょう。
最後っ屁で正直に言うと、意外と、友達とか好きな人たちが「じゃあ週末あの店で!」みたいなリア充してるのを遠くから指をくわえてみてるのが辛かったていうのは大きいです! つまり外国で住むというのはそういうことなのでしょう。
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