20.11.2012
変わったのか、同じなのか
これ
一つ前のエントリーを書きながら考えていたことです。
私は20歳前後のころ数年というまとまった旅行をしました。そしてその後15年以上は旅行という旅行をしませんでした。そして、去年あたりから再び旅行をする機会に恵まれ、今はこうして海外ウズベキスタンに来ているのです。
たとえば、私は1992年の上海に行きました。昨年、再度2011年の上海に行きました。そのときに、
「あぁー、これも同じ、これも変わってない」という旅行をしたか。
「あぁー、ここも変わった、これも変わってしまった」という旅行をしたか。
これって、その人の見方しだいで街の見た目も印象もだいぶ違うことになりますよね?おもしろい!保守的で、昔の面影を追い求める人には昔どおりに見えるし、新しいもの好きで好奇心の強い人には、まったく新しい街に見える、実際、上海ってそんな街だと思います。私は、タイプで言うと違いを充分に楽しみたいタイプなので、変わらぬ風景を楽しみつつ、昔の上海でしなかったようなことばかりして遊びました。
今の上海にはアップルストアが二軒もあって、お洒落な若者はアイフォンのSNSアプリなどで遊び相手を探したりします。(TwitterとFacebookだけじゃないんです・・・)。新幹線にも乗りました。地下鉄にも乗りました。一人でいろんな酒場に遊びに行って深夜に帰りました。20年前には何も無かった浦東を歩きました。
上海旅行の思い出はこの辺をお読みください。
http://iyamat.blog.shinobi.jp/Category/2/5/でも、時々、自分はもしかして昔の面影を追い求めているのではないか、と思うようなこともあります。あるいは、自分の知ってるイメージにあてはめて理解しようとしている、というべきか。20年前の旅行の印象が強すぎて、「アジアは俺のもの」って思ったり(?!)「俺の知ってるアジア」っていうのが頭の中に出来ているんです。そして、ことあるごとに、「あぁ、これは俺の知ってるアジアだなぁ」とか、「これでこそ俺のアジアだなぁ」って思っているときがあるんです。でも、20年も前のどこかの国の風景、情勢が、この成長が早いアジア地域でそのまま残っているなんてことはあまり無いでしょう。
だから、「これは俺の知ってるアジアだなぁ」と思い始めたら、もう一人の自分がすぐにそれを否定します。「タロー!それはあなたの知ってるアジアじゃないわ!そんなのはとうにしんでしまったのよ!」「それにタロー、ここは20年前には来られなかったウズベキスタンなのよ!」ってね。(←何キャラ?)
はじめての土地、はじめての人、ならば、マッサラな気持ちでありのまま理解できれば、それが一番正しいのだよな、などと思います。同じもの、似てるものを追い求めて安心するのでは駄目。はじめて見るもの、知らないことにときめく気持ちを忘れずに。自戒を込めて。
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