23.11.2012
今、お風呂の蛇口が壊れています。
うちは、タシケントの中心地にある180ドル/月のアパート。10階建ての8階に住んでいます。JICAの決まりで、ウズベキスタンでは一律180ドルのアパートに住むことになっており、自分で幾らか足してもう少しいいアパートに住むような選択肢は無いです。物価の上がりつつあるタシケントで180ドルのアパートというのは安いほうで、私のように一人で住む人は少なく、たいてい親子二世帯くらいで住んでいるようです。
常に壊れているこのアパート、広々していて大きな応接セットがあり、日本では考えられないくらい広いんです。窓も大きく、午後じゅう日が差して暖かい部屋です。でも、多くの普通のウズベキスタンの住宅と同じく、常に何かが壊れているような家です。
故障のオンパレードまず、窓はたくさんあるけれど、きちんと開閉できる窓は少なく、たいていの窓は固まって動かなくなっているか、とってを握った瞬間にとってが抜けてしまうような窓です。それと、ドアの二重ロックの片方は機能していない。ガステーブルは動くけれど、オーブンは機能しない。お風呂の排水溝(2つあるうちの上のほう)はドレーンに繋がっていないので、水漏れ。
お湯の蛇口で、最近新たに壊れたのが給湯。アタプレーニエといって、お湯を使った集中暖房システムが始まって、どうやらそっちからお湯を引くようになっているのですが、ほぼ熱湯が出てくるので、普通の蛇口ではちゃんと機能しないと思うのです。もうすっかり蛇口が馬鹿になっていて、蛇口は回らないし、回ったら閉じなくなるし、何度かためしてやっと閉じても、ジョボジョボとお湯漏れしてしまっている始末で。シャワーのノズルも破けて漏れているし、今日は、朝シャワーを浴びている途中でお湯が給湯されなくなってしまって、渋々体を拭いて諦めました。人間諦めが肝心。
結局元栓に頼る幸い、給湯の元栓みたいなものが風呂場の中にあるので、家を出る際に元栓からひねってお湯を止めてします。その、元栓のレバーもゆるくて、ガタガタしていて今にも取れちゃいそうなのが気になりますが。
日本は特別お湯が止まってしまったあと、出勤前でしたがしばらく呆然としながら、考えました。「日本ってすごい」日本で、壊れたまま放置されているものってなかなかありません。家でもそうだし、特に公共機関や交通などではありえません。モノも良くできているのでそうそう壊れないです。でも、ここはどうでしょう。バスの扉も壊れて開かなくなるし、バスの車内も明かりが壊れて真っ暗なまま走っていることはよくあります。さすがに飛行機はそういうことは無い(と願っていますが!)。家の備品が壊れているなんて日常なんでしょう。
幸せってなんでしょう・・・で、更に考えました。「日本ってちょっと凄すぎなんじゃない?」モノがなにも壊れていない社会。確かに綺麗です。でも、綺麗な社会に住むと、人は幸せなんでしょうか。じゃあなんで年間の自殺者が三万人のままなんでしょうか。一方ウズベキスタンはどうでしょう。モノが壊れても、不満たらたら修理して、修理して直らなければ放置して、それでも家族に囲まれて笑顔で生きる人は多いです。
我々は途上国支援に来たんだけど私たちは、途上国支援に来ているので、つい「改善」目線でモノを見てしまうことが多いです。これは、あれは、日本と比べてああだ、こうだ、と。人によってはそれが仕事なので仕方のないことですし、人命にかかわる医療現場などでは、どんな理屈より必要な視点です。ただ、可能な限りの財と知を投入してこの国を日本式に改善したときに、この国の人々が今のように家族に囲まれて笑顔で暮らすことができているのか、本当に日本式が幸せなのだろうか、という視点は忘れずにいたいと思いました。
・・・そんなわけで、出勤前の貴重な時間を思索に費やした結果、今日は若干遅刻して出勤したのでありました。
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