リーダーシップ(責任感)と、独善(俺様、押し付け)って表裏一体のように見えて、ちょっと違う。
リーダーシップのある人は、自分のやり方を持ってるし、知ってる。一方独善的な人も、自分のやり方を持ってる。リーダーシップと独善は、一見表裏一体で、同じものを表から見るか、裏から見るか、とも思える。
なにがちがうの?
大きな違いは、被リーダーシップ(リーダーの下で統率される人)への信頼感じゃないかと思う。
たとえば、ある人がある購買をしようとしていて、リーダーはそれを止めようとする。そこに理由があるのなら、リーダーシップ、理由が無いのなら、独善。
「そんな購買をしたら、○十万の損害が出てしまうから、俺のやり方じゃないと駄目だ!」
→そこには購買をしてはいけない理由がある。リーダーは購買担当者を信用しているが、明らかな理由(損害)があるから、俺のやり方じゃないと駄目なわけ。
「そんな購買をしちゃだめだ、俺のやり方でやらなきゃ駄目だ!」
→これはNG。だって、理由がない。強いて言えば、購買担当者を信用していないから、とにかく俺のやり方じゃないと駄目だと言ってるに等しい。中小企業のワンマン社長とかにいるタイプ。
前者は、もしも止めなければ損害が出ていたのだけれど、後者は止めなくても損害は出なかったかも知れない。ここが、リーダーシップと独善的行為の違いかも知れない。
自分の意見を持たずに人の後をついてゆける人たちは、リーダーにも独善的な人にもついて行けると思うけれど、決定的に違うのは、リーダーの下にはミニリーダーが育つし、独善的な人のしたにはリーダーは育たない。だって、独善的な人にいちいち理由なく否定されていたら、リーダーの素質のある人はついていかないから。
日本人の若者に責任感がある人は少ないと(肌感覚で)思う。なかなか、俺についてこい、っていえる人は少ない。それは、社会構造的に自分が責任を持たなくていい(会社だって、上司の責任だし、親が責任を持ってくれる人が多い)。で、たまに俺について来いタイプの人がいても、鍋奉行みたいな、有無をいわせず「それは駄目!」って言う人もいる。それに、リーダーシップのある人と俺様主義の人って本当にわずかな違いだから、リーダーシップのつもりでしたことがただの俺様主義になってることも、ありうる。
協力隊の活動はわりと、そのときだけ改善すればいいのではなくて、リーダー育成(現地の人にノウハウを伝えて次のリーダーになってもらう)要素があると思うので、日本式と違うからと言っては、頭ごなしに否定するのではなくて、信頼してみて、違うところは理由を述べて理解してもらって、よきリーダーになってもらうのが肝要なのかもしれない。だから、リーダーシップと俺様主義の違いがとても重要になってくる。
私自身は、リーダーシップを取って他人を統率するのも嫌ですし、他人の俺様主義で自分の行動を邪魔されるのもすごく嫌なので、単独行動がいいです。自分の行動は自分のために、全部自分で決めたい(つまり、自分にだけリーダーシップを行使したい)派です。協力隊活動は、リーダーはちゃんと(現地の人が)いて、サブあたりのポジションで、適宜助言するような感じを目指してる。
みたいなことをかんがえた。
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