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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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サマルカンドへバス旅行

ショッキングなニュースでお弔いウォッカをしてしまったので、4時に起きて5時までに集合できるか不安だったんだけれど、無事に2時くらいに目が覚めてひたすら酔い覚ましして、でも集合時点でまだ酔ってました。バス旅なのでお腹の調子が不安。

(* 印の画像はクリックで拡大します)

5時に集合、ツアー代金30000スム

サマルカンドへの日帰り旅行なので、朝早いことは覚悟していたんだけれど、朝5時はやっぱりきつかった。部屋中の電気をつけて副交感神経から交感神経に無理やりもっていって、集合地点までタクシーで乗り付けた。ところで、今回のツアー代金は驚きの安さ、30000スム(約15ドル)。昼食代を含まず往復と現地の移動のバス代だけとはいえ、安い安い。ちょっとした駐在員のランチみたいな金額でした。普通の鉄道とかアフロシヨブ号だと幾らになるんだか、調べたんだけれど誰も書いていないので、わかりませんでした。(JOCVでよく旅行してる人はそういう情報をWEBに書いてくれると色々ありがたいと思うんだけどな)



子供たち

今回のツアーは、タシケントのマクタブの9年生(16歳)の先生と生徒たちに同行しています。そう、遠足について行ったんです。行きのバスですでにパワー全開で、携帯で音楽をかけて踊ってます。手ごわい。。先生のOzodさんも、30歳くらいの筈だけど生徒と同じテンションなので、かなり手ごわい。結局、朝五時から夜10時にタシケントに帰るまでテンション全開なままでした。若いって(そして先生って)すごい。


踊る子ら

ウズベキスタンの子たちは、ゲーム機や携帯で一人で遊んだりしないで、バスの中の娯楽といえば、歌。踊り。しりとり(歌しりとり?)。ひまわりの種(スミチカ)を食べながらお喋り。すっごく、健全でした。常に歌って踊っていたので、少し(かなり?)うるさかったけど、バスに同乗していたお婆さんの団体も特に迷惑そうにせず、笑顔で見守っていました。日本とは違います。

バスの中で物静かだった女の子の生徒が、イマーム・アルブハリーで何やらお土産を買ってきたので見せて貰ったら、なんともない安そうな額縁風なものに、サマルカンドの名所が印刷された紙が収まってる、いかにも子供が買えそうなみやげ物でした。額縁の部分になにやら彫って(刻印して)あるので、これは何?ときくと、「おねえさんの名前なの。お姉さんにあげるの」と言ってました。すごく、いじらしくて動揺しちゃった。きっとお姉さんも喜んでくれるでしょう。ある痩せた男の子は、いつもちょっとみんなから離れた場所にいて、あさっての方向を見ていて、でも同級生が何やら盛り上がってるとそ、そ、そ、と近くに寄っていって、ニカーと笑うような、不思議くん?だったんだけれど、黒い眉毛の下のアジア人の目は大っきくて丸くて、瞳は綺麗な青色だったので、なんだか行動パターンも相まって、妖精みたいだな、って思いました。ウズベク人の魅力は半端ないです。


ウルグベック天文台。*

外国人料金にもの思う

レギスタン広場について、ワー名所だー、と思って広場に入ろうとすると、警官と係員に笛を吹かれて止められました。しかもすごく横柄で「おい、そこの外人!とまれ」って感じです。係員が、あそこのチケット売り場でチケットを買ってから入れといって、すごく遠くのわかりづらい場所を指差すのですが、なにかしらの展示物のある建物の中に入るわけでもなく、単に広場の敷地に入るだけで金を取るのは天安門広場もびっくりですね。金を取るならちゃんとゲートを作ったりチケットブースを作ればいいのに。ウズベク人のおのぼりさんも、わからず入ろうとして笛を鳴らされたり、怒鳴られたり小競り合い(!)したりしています。

レギスタン広場の入場料は1000スムだったのだけれど、チケットはウズベク人の同行者が一緒に買ってくれて、入場しようとすると、また横柄に止められて、ウズベク人は1000スムだが、外国人は14000スムのチケットを買わなければならない、と言われました。いい加減不快になり、「私はタシケントで働く外国人で、居住証だって持っているんですよ!」と強い調子でウズベク語で言うと、手のひらを返してどうぞ、どうぞ、と通してくれました。


レギスタン広場、ウズベキスタンで一番有名な場所?*

結局、サマルカンドでウルグベック天文台、レギスタン広場、グーリ・アミール廟に入場しましたが、毎回外国人料金は現地の人の14~15倍だったので、チケット購入時と入場時に「タシケントで働いている!」と言って、居住証を見せました。(天文台では入場した後もチェックおばさんに付きまとわれ、「あなたは外国人なのにどうして現地チケットで入っているのだ」と聞かれた)。

外国人料金自体は世界中どこの観光地でもやってることで、中国やインドでも経験があるけれど、あまりに値段が違いすぎることや、価格が掲示されていなくて、ただの販売員の小遣い稼ぎと見分けがつかないこと、ゲートもチケットブースも無いのに私服の横柄な人に止められることとか、入場した後も泥棒みたいに疑われることとか、せっかくの観光資源を台無しにしてる気がします。(そういう不器用なところもウズベキスタンの良さかもしれないけれど)


写真を撮るときはポーズ、基本。*

レギスタン広場とスリ

レギスタン広場の、左側のメドレセに入ったところ、騒ぎになっていて、丁度警官が一人のおばさんを、乱暴に連行してゆくところでした。二人に別のおばさんが泣きながら追いすがっていました。まわりの人に聞いてみると、観光客の携帯電話をスったそうです。それで、一同携帯電話をカバンに仕舞いなおしたりしました。メドレセの中は隅々までお土産屋になっているので、買い物をしてるすきにポッケが無防備になっている人はたしかに多そうです。

有名人になった気分

確か、天文台で、20人くらいのウズベク人小学生の団体と遭遇して、目が合ったとたんに
「外人だ!」「外人だ!」「外人だ!」「外人だ!」「外人だ!」
となって取り囲まれました。

「一緒に写真とって!」「一緒に写真とって!」「一緒に写真とって!」「一緒に写真とって!」
「握手して!」「握手して!」「握手して!」「握手して!」「握手して!」「握手して!」「握手して!」

「どこから来たの?」と、ちょっとウズベク語を話しただけでうわぁー、と歓声が。ジャスティンビーバーってこんな気分なのかしらん。ただのふがいないおじさんなのに、有名人になった気分。

タシケントの子らは、そういうことはしないけれど、都会出身の私から言わせてもらえば、本当はすごく、外人と話してみたいんだけど、東京の外人は旅行じゃなくて普通に日常生活をしてる人のほうが圧倒的に多いし、悪い気がしてそういうことできないんですよ。地方の人が言うように東京は冷たい、わけじゃないんです。


テムール家のお墓。金!*

タシケントを出たらウズベキスタンだった

ウズに来てから9ヶ月、今回はじめて、タシケントを出て別の都市に行ってみて思ったのですが、思いのほかウズベキスタンでした。ウズベク語しか聞こえてこないっていう経験をはじめてしました。タシケントでは、同僚や近所の住人がロシア人とかロシア語話者なのもあるし、街中でもロシア語のほうがよく聞くし、ウズベク人も私にはロシア語で話すので、町並みも相まって、「半分ロシアだな」と思っていたのです。でもタシケントを出たら、100%ウズベクで、サマルカンドで太った観光のロシア人おばちゃんがダバイ、ダバイ、言ってるだけで思わず振り向いてしまったほどでした。ロシア語の勉強をおもにしてるけど、ウズベク語も捨てがたいなぁなんて思いました。

帰りのバスでは疲れ果ててしまって、半分以上寝てました。おきているときは強制的にスミチカやらサラダとノンやらを餌付けされて、子供の話し相手をしてました。同行した、日本人の私より日本人らしいH嬢などは、疲れて頭痛になってしまったほど。しかし、妖精のようなウズベク人の子供とエネルギッシュな先生とのバスの旅、面白かったです。あとで写真を見返すと、私の顔が普段ありえないくらい笑顔になっていました。おそるべし、おそるべし。


グル・ティムール廟*


レギスタン広場*

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アンチライフハック

特に意識しないでWEBをサーフィンしていて、へんな名言とか、美談が目に入ってしまったときのがっかり感はない。先日、ふと見出しにつられて読んでいくと、「仕事が出来る人はゴールを設定する人」とか書いてあったけど、じゃあ、ローマは一日にしてならず、なんて言っていた人は、きっと仕事ができないんだろうな、と思った。そういう人にとっては、ローマは90日にしてなる!とかっていうのが、よく見えるんだろう。

ライフハックっていう言葉がチラチラ目立ち始めた頃から、東京で会社員をするのが苦痛になってきて、結局やめたんだけど、自分でも何が嫌なのかよくわからなかった。最近、ライフハックとは無縁のこの地で思うことだけど、たいして年収ももらっていない会社員が、行きと帰りの電車でそんなライフハック本を読んだり、「年収800万転職」、「間違った英語を話してる?」みたいなコンプレックスを刺激する広告に囲まれて生きるの、いっぱいいっぱいで疲れちゃったのかな、と思った。

人間が自分なりに無理なく働けば食い扶持になればいいんだけどね。自然に働いて、それに見合う金を貰ってる人に、こうすればもっとできるとか、こういう人のここが駄目、とか言って、自然にできること以上に頑張らせるのは、なんだか調教師が鞭で打つような姿を連想させて、哀れだ。私がライフハック云々に感じる嫌な感じはそういうところ。

他人より頑張らないと金も稼げないから、なんとか実力以上に成果を出そうとして、そういう弱みに目を付けた人がライフハックビジネスで金を掻っ攫ってゆき、目をつけたもの勝ちみたいな忙しい東京は大変なところだよぉ。私みたいな、グズい人間にはちょっともう無理かもしれない。かくなる上はやっぱり火星に移住するくらいしか、ないか。

訃報


マーダムと。

19歳の頃、私が何者でもなくて、汗臭いトラベラーズチェックを腰に巻いて、汚いバックパックを背負った野良犬みたいないきものだった頃に、家に住まわせてくれて毎日ご飯を作ってくれて、つかず離れず1年くらい暮らしたタイのお母さん、恩人であり二番目のお母さんのような人が亡くなりました。よく一緒にビールを飲みましたね。

伝統的なタイの人なのに、朝にはなぜかとてもおいしいバナナパンケーキを焼いてくれました。

懐かしさであれからいろんなタイ料理を食べましたが、Mamaの作る東北タイ料理以上においしいものは食べたことがありません。

一緒にメコン川のほとりに畑を作って、二種類のパクチ、トマト、ねぎ、原始ナス、菜の花なんかを植えました。

オレンジ色の少し甘みの出たパパイヤで作るソムタムが一番おいしいと言って、オレンジになるまでパパイヤを置いてありました。

ドリアンが大好きだけれど、心臓に悪いから食べれないと言っていたけれど、結局一緒に食べましたね。

アヒルの内臓をハーブで煮込んだもので作ったLaabもおいしかった。

一緒に田植えをしたときにはじめてヒルにくわれました。

私が喘息で動けなくなったときに自慢のホンダの125ccに乗せられてサンコム病院に連れていってくれましたね。

よく、メコン川を手漕ぎの船で渡ってくるラオスの女性からセミを買って、羽をむしって食べた。

蒸した菜の花に、魚の味噌とにんにくとパクチーで作ったナムチムをつけて食べるのおいしかった。

ある日、マーダム(黒い犬)をつれてきて、一ヶ月くらい飼ったけれど結局いなくなって、殺して川に捨てたって言ってたけど、本当はどうだったの?傷ついたんだけど・・・

おまえは若いのに夜一人でいて可愛そうといって、村から若い人を連れてきてくれましたね。びっくりしました。結局お話しただけで何もしなかったけど

私が南に行ってビーチで日焼けして帰ってきたら、色黒は嫌いだといって顔をあわすたびに黒い、黒いといっては嫌な顔をしましたね。

生姜と縫い針で耳に開けてもらったピアスの穴はいまもあります。シーチェンマイの中国人の店で一緒に買った金のブレスレットもタシケントに持ってきている。

書ききれないくらいの思い出。

一人で闘病されていたのも知っていたけれど、お金が無かったり時間が無かったりしてタイにはいけず、昨年スカイプで30分くらい話せたのが最後になってしまいました。



Первый раз в Самарканд.

Завтра я уеду на экскурсия в Самарканд в первый раз!
明日、はじめてサマルカンドに旅行に行きます。
Я поеду на автобус с друзьям.
友達とバスに乗って行きます。
Было так долго после прихода в Узбекистане, я некогда не был туда.
ウズベキスタンに来てから長い時間が経ちましたが、まだ行ったことがありません。
Наконец я буду в Регистан площадь и медресе улугбека.
とうとうレギスタン広場とウルグベック神学校を見ます。
Я буду фотографировать там и покажу вас.
写真を撮ってみなさんにも見せますね。
Я встречу с друзьям утром в пять часов. Как рано!
待ち合わせは朝の五時です。とても早い!
Пока!
パカー


望郷2030

実は、あまり望郷の念が無くて、最近綺麗な夕日を見ては、テレビを見ながらビールを飲んでは、今日もいい一日だったナァなんか思ったりしている。

海外に住んでいると、多少の望郷の念があるんじゃないのか、って自分でも思うのだけれど、たまに日本食を食べたくなる以外は、意外にも望郷の念がありません。

それは、私がいつでも帰ろうと思えば帰れる立場なのもあるし、特に日本で心がかりなことも無いせいかもしれない。もしくは私が単に繊細じゃないせいか。

それにしても、今はインターネットの時代で、東京のトレンドなんてTwitterやらFacebookやら見ていればわかるし、ニュースも開けっぴろげにわかるし、スカイプで家族の顔も見れるし・・・っていうのが大きいと思う。インターネットで海外のことも随分筒抜けになったので、海外ってどんな場所だろう、っていう好奇心も昔ほどは無いのかもしれない。

地球上なら、だいたいどこでも夕陽も見られるし雨も降るし、風も吹く。実は、海外に出たら望郷する、なんていうのはインターネット以前に刷り込まれた固定観念なんじゃないかとも思う。

じゃあ、どこまで行けば望郷できるのか、というと、火星? 火星まで行けば、もう海もないし、月も無い?(火星から月って見えるの?)

いまどき望郷の念を持ちたければ火星へ!
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2895003/9355168

4/19の勉強♪

4/19

давно/долго/надолго

давно /遠い昔
долго /長いこと
надолго /長い間

※долго と надолго の違いはよくわからない。日本語だと、長いこと、とか長い間とか、同じになってしまう。英訳を見たら、надолгоのほうが長そうだけれど、確信は無い。

недавно/недолго/ненадолго

недавно /少し前、最近
недолго / 少し
ненадолго /少しの間

ヨグ、ヨグ、ヨーグルト

職場の若者、S君が熱心に英語を勉強中なので、たまに英語を教えてあげている。先日、一緒に食事をしていた時のこと。

こちらではポピュラーな無糖ヨーグルトを食べながら、彼が、ヨーグルトのことを英語でケフィアと呼ぶと思い込んでいるようだったので、ケフィアはロシア語で、英語だとYoghurtだよ、と教えてあげた。

そのとき、S君が「Oh... Yoghurt」と呟きながら、何やら思いついたような素振りだったけれど、それきり忘れていた。

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オウムとお医者さんのパッケージ


今朝、スーパーで買っている紙パック入りのВифидок(ビフィドク)ヨーグルトを食べながら、ふとよく見ると、


ヨーグルトって書いてある!?

でも、見間違いで、Yog'liligi(ヨグレレゲ)3.4%=乳脂肪分3.4%と書いてあったのでありました。ウズベク語で油のことをYog'と言います。それにしても、ヨーグルトにヨグレレゲって書いてあるのは、似すぎているので、ひょっとしてヨーグルトの語源ってこの辺の言語? かと思って調べてみた。

Wikipedia調べ
「ヨーグルト」という言葉は、トルコ語でヨーグルトを意味する「ヨウルト(yoğurt)」に由来する。ヨウルトは「攪拌すること」を意味する動詞yoğurmakの派生語で、トルコにおけるヨーグルトの製法を反映している。


やっぱり、トルコ語なんだな。ただ、Wikipediaは間違いが多いかもしれないので、念のためウズベク語ではどうかと思って、Yog'lamoqを引いてみたら、


ウズベク語だと、Yog'lamoqはそのままバターとか動物性脂肪を指す単語になるらしく、こちらのほうがもっともらしい。

現代のウズベク語では、殆どの場合ロシア語のケフィールという単語がヨーグルトを指すけれども、せっかく語源らしきものがこの辺に由来するのなら、ヨーグルトって呼んじゃえば?

(4/20 ちょっと修正) 
ウズベク語でヨーグルトは Қатиқ (Qatiq)、日本で習った単語なのに指摘されるまで完全に忘れていました(おはずかし)。あと、ヨーグルトでも通じるらしいです(コメ欄参照のこと)。

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ちなみに、有名なトルコのオイルレスリング、ヤールギュレシ(トルコ語: Yağlı güreş)は、ウズベク語風に発音すると、ヨグレ クラッシュ(油まみれのレスリング)です。

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自己紹介

自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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