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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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ピーマンの肉詰め



ピーマンの肉詰めを作りました。発祥はトルコ料理らしく、ウズベキスタンでは広く食べられています。ドルマという料理名だと思ってたんだけど、本来のドルマは葡萄の葉っぱでひき肉を包んで煮たもので、ピーマンの場合は、ブルガルスキーのドルマ?

ひき肉を、塩コショウ、浸水させた米、玉ねぎのみじん切りで捏ねて、ヘタを取ったピーマンに詰める。
あとはだし汁で20分程度煮るだけ。(水溶きウェイパーで代用)

すっごい簡単でした。



ひき肉料理でも、ハンバーグだとつなぎとして入手が難しいパン粉が必要だし、形成して火を通すのがなかなか面倒。その点、ピーマンに詰めてしまえば煮るだけだし、形成しなくていいし、ハンバーグより楽でした。

肉は加熱するとかさが減るけど、代わりに米が膨らむのでちょうどいいみたいです。米を入れすぎるとピーマン避けるので注意。若干肉より米が少ないくらいが良いみたいです。

ちょっとすっぱい味がしていたと思うのでお酢を振って食べました。


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アイダル湖へ鉄道で小旅行

鉄道の旅



初めての鉄道の旅。私は鉄道が大好きです。ウズベキスタンに来て初めての鉄道のたびに胸が高鳴りました。

駅に入るには身分証チェックとパスポート+切符のダブルチェックがあります。厳重。改札というのは無くて、車両に乗り込む際に車掌さんが改札をします。海外や日本の地方の鉄道では、列車の発車ぎりぎりにならないとホームに入れないケース多いですが、ウズベキスタンは特にそういうことは無いようで、発車30分前にはホームに入りました。

ホームは禁煙、ですが皆普通に喫煙しているので、タバコを1本吸いました。喫煙所も特に無いのです。売店は、申し訳程度に売り子のお兄さんが数名いました。後で気づきましたが、デッキの一部は喫煙可能になっています。

ウズベキスタンの列車は、開放寝台、4人のコンパートメント、2人のコンパートメントの3クラス制になっており、今回は4名コンパートメントを4名で占有しました。ひとり21ドル。高くもなく、安くもなく、かな。車内は、暑い。どうやら、走り出してからでないとエアコンが動かないらしく、停車中はとても暑かったです。

セキュリティのためポリスが一列車に2名同乗していて、ちょうど我々のコンパートメントの隣にポリスの詰め所がありました。誠実な感じの若い警官と駅につくたびにホームで世間話をしました。のちに、ヌラタを観光していたらその時のポリスが彼女を連れてデートに来ていて、再会を喜びました。

我々の車両は全部埋まってるはずなのに、途中の駅でどうやら席の予約が取れていないらしい乗客が乗り込んできて、車掌となにやら話した後に、車掌室やポリスの詰め所に乗車していました。いくらか貰って、席の無い乗客に執務室を提供しているようです。小遣い稼ぎ? それにしても追い出されたポリスたちはどこへ乗車するのかが気になりましたが。

夜中の二時頃に、サマルカンドで乗り込んできた若者のグループが、やはり席の予約を持ってないようで、勝手にコンパートメントを開けて空席を探したり、携帯で音楽をかけて大声で話したりしたので閉口しました。鉄道に乗るとハイになるんでしょうか。


ナボイからヌラタへ



朝の5時にナボイ着。待っていた運転手氏とヌラタおよびアイダルクル(アイダル湖)を目指します。ヌラタの町まで1時間、そっから湖までさらに1時間。地方の割りには車道の整備が良くて軽快に飛ばしてくれます。タシケントからチョルボックのほうが道路状況が悪かったです。風景は、砂漠に低いサボテンみたいな木がまだらに生えている、乾燥帯の風景。厳密には木が生えてるから砂漠とは言わないんでしょうか?


ヌラタの魚のモスク



ヌラタの町にはモスクがあり、済んだ水に魚がたくさん泳いでいます。魚飼ってるモスクって、モスクというより仏教寺院みたい。その裏手には自然に作られたような高台が。観光地になっているらしく、お土産を売るおばちゃんの屋台も出ています。彼女らはおもにタジク語で話していました。ヌラタもタジク語エリアなのかしらん。少年が、ちょっと危険そうな高台を、携帯でなにやらタジク語で会話しながらひょいひょいと歩き回っていたのが印象的でした。



アイダルクル

アイダル湖は、乾燥帯の中に突然ある塩湖でした。地図で見ると相当広いみたい。水はしょっぱくて、浮力もやや高くて面白かったです。水の透明度も淡水湖に比べて高いです。湖底も砂で全然痛くないのですが、急に深くなるのでちょっと怖かった。風が強くて、流されたビーチボールがあっという間に沖にながされました。



小さい魚が何匹も泳いでいるのが見えました。のちに、宿泊施設でアイダルクルの魚を食べましたが、鯉のような小骨があったのでどうやら淡水魚ですね。

サマルカンドからローカルの学生グループが遊びに来ていて、英語でしばらく世間話をしました。

この湖、とても良いのだけれど、周囲にまったく日陰が無くて!木はあるのですが低木なのでとても日陰にはならず、ビーチパラソルがあればよかった、と思いました。ちょうどその日は気温が高く40度を越えていたので、直射日光下は50度越えだったのじゃないかと思います。私てきには1時間程度の滞在でよかったですが、3時間くらい滞在して、まだ水に漬かりたいらしい若者たちは置いて、宿泊施設に撤収しました。

ユルタ



ユルタ(ロシア語。ウズベク語では、Utov)は、モンゴルのパオと言うと通じやすいかもしれないけれど、遊牧民が使う帽子の形の丸いキャンプです。一口サイズのアイス、ピノみたいな形をしています。今晩の宿泊はそのユルタで。値段はひとり50ドル。けっこう取るね。5名が1つのユルタに泊まれるようになっています。ためしに寝転んでみたけれど、風が通らないため日中はあまりにも暑くて、全然昼寝はできませんでした。かといって外の日陰に出ても砂嵐みたいなのが吹いてくるので、なかなかハード。

観光客にユルタを貸している宿泊施設なので、トイレやシャワーは手作りの感じのものが設置されています。トイレの水はちゃんと流れたけれどシャワーは水が出ません。電気も昼は止まってしまうようでした。ウズベキスタンの地方暮らしはなかなか大変そう。

宿のオーナーはロシア人の女性で、ちょっと話したところモスクワで工学を学んだ経歴があるとのこと。なんでこんな砂漠の真ん中で商売を?と聞いたら、「ここが生まれ故郷だから」とのことでした。いつ頃入植してきたのがわかりませんが、ソ連時代にはじつにくまなくロシア人の入植があったのだな、とちょっとびっくりしました。


ユルタの夜



夜はキャンプファイヤーがあり、宿泊客が火を囲んで、ギターの弾き語りの民族歌手が来て、お酒を飲んだり踊ったり。フランス語を話す家族連れがいたので「どちらから?」と聞いてみると、フランス語話者のスイス人家族でした。普通に、バカンスでウズベキスタンにやってきたそうです。バカンスでウズベキスタンていうだけでもレアだと思うのに、こんな地方にやってくるなんてすごい秘境趣味ですよね?と聞きそうになりました。あとから別の人に、日本のリタイアした世代向けのツアーにも、秘境を訊ねると銘打ってユルタに連れてくるようなツアーがあると聞いて、驚きました。

滞在中タバコが切れてしまって、4人で2個のライターを使いまわしていたら無くなってしまったり、1人が持っていたタバコを4人で分け合って吸ったりしたのにすごく不便を感じてしまって、私が非常に都市型人間であるのを思い知りました。タバコが無くなっても売ってるところも無いんだもん。砂漠の真ん中で。予めわかっていれば前もって予備のライターとかタバコを買っていったのですが、事前に何もしらず、「ユルタって何?」という感じだったので。

10人乗れるバンのレンタルが2日で300ドル
鉄道が片道21ドル
宿泊がひとり50ドル
で出費は約120ドル+食費でした。


チョルヴォクへ遠足

朝、自家用車でタシケントを出て、1.5時間ほど。チョルヴォクという湖へピクニックへ行きました。



チョルヴォクは、ダムによって雪解け水を貯めた人造湖のように見えます。湖のまわりには、ホテルや休憩施設などがあり、タシケント市民の避暑地になっているようです。

我々が行ったのは、湖のほとりに縁台を設置した休憩施設。天気もいいし、綺麗な山並みやエメラルドの湖面を見ながらビールが飲める。これは良い!値段は一日利用して7万スムでした。



縁台には冷蔵庫が設置されているし、水は若干緑ににごっているけど、そのまま階段を下りて湖で泳ぐこともできます。また、かまどもあるので煮炊きもOK。我々は木炭を持ち込んでバーベキュー。



おなかが膨れたら、ボートを借りて水源のほうへ冒険。生まれてはじめてボートを漕いだら難しかった・・。途中、魚釣りをするローカルの人がいたので、声をかけて4000スムで小さい魚を数匹購入して、焼いて食べました。久々の魚もおいしかった。



夕方になって急に豪雨と雹が降ってきて驚きました。

とても良い体験でした。


先に画像をお送りします


「おや、あなたは・・・」


「・・・こんに、ちは?」


うし、来襲





駱駝、休憩


やぎ、横断


そして、キャンプファイヤー、踊り!


ユルタ泊


まさかの、海!?


近況です。

元気でーす。

暑い熱い、タシケントです。

8月に帰国するので、その前に色々と済ませようとしています。7月はもともと、ちょっと忙しい月になるはずでした。夏休みをあてこんで旅行の予定を入れていたし、同じく休みを当てにして歯の治療、賃貸の更新、ビザとアクレジテーション(滞在資格)の更新、新隊員の歓迎会等。

そこに、大家さんからの家賃値上げの相談だったり、職員さんの夏休みに入る直前になって私の機器が入荷して夏休みが無くなったり、限られたリソースの中でテストをしたり検証をしたりすることになって、結局、帰国までずっと出勤することになりました。

ただ、出勤といっても、夜の作業が多くなりそうなのを見込んで午後から出勤にしているので、朝はゆっくり起きて、朝食兼昼食をつくり、のんびり出社するのでストレスは無いです。

そんなこんなで、ブログを書く余裕(正確に言うとブログのネタをあれこれ思索する暇な時間)もなくて、今に至る。

学生が休みにはいった学内の様子は、皆がカニクル(夏休み)に入って閑散としているかと思いきや、私のとこのディレクターをはじめ、半分くらいのスタッフは普通に出勤しているのです。主に偉い人と、年配のベテラン職員さん。別にどこにいく予定も無いから家にいるより出勤しましょ、という雰囲気の人が多いです。思ったより働き者ですね。

私が夏休みに出勤することになったのは、この期間は職員さんがいなくてネットワーク機器を止めても問題ないし、思う存分検証できるから、という理由だった筈ですが、上記のように職員さんは出勤しているし、テストに使えるはずのネットワーク回線は入学願書受付のために別のロケーションに移設されていたりして、全然予定通りにはなっていません。なにもかも、想定外で予定どおりに進まないのはもう慣れっこになっていて、こんな感じだと予定なんて馬鹿らしくて立ててられないよねー、などとも、思います。

そんなこんなで、9月ころまでブログ休んでしまうかもしれません。しばらく更新されないようでしたら、9月ころにまたチェックしてみて下さい。

神のおぼしめしだろう

あるウォールストリートジャーナルの記事を読んでのけぞってしまった。

いわく、飛行機が着陸に失敗し炎上しても、殆どの人が生き残ることができたのは、エアクラフトの技術革新(不燃性の素材の利用など)や、機内オペレーションの向上(すばやい誘導)があったからだ、とその記事はしめていた。

私はそれを読んで、いくらなんでも2名の人が死んでいるのだから(一人はなんと救急車両に轢かれた形跡まであるとか)、飛行機の技術革新どうのと言う場合じゃないだろ・・・と思ったけれど、なんともアメリカ人らしい、自己肯定感に恐れ入った。事故機はボーイングだったわけだし。

アシアナ航空で帰省する話になったときに、アメリカがあまりお好きではない某チーフに上記の話をしてみた。すると、

「だからアメリカ人は馬鹿なんだ!人が何人死ぬかなんて、神が望むか望まぬかに決まってるだろう?はははっ」



そうか神だったのか!

日本人としてはそこで神が出てくるのもちょっとピンとこないけど!!

ところでこの方は最先端のIT業界に生息していて、普段から私が舌を巻くほど非常に論理的な人で、とてもじゃないがそういうときに「神が」と言い出すタイプだとは思っていなかったので、意外だった。やっぱり、いかなる人の心の中にも神(フド)がいるのだなぁ、などと、変なところで感心してしまったのです。

あまり戒律が厳しくないとか言われているらしいウズベキスタンですが、やっぱりちゃんと神がいるみたいですよ。

盆暮れ正月が一度に来てるみたいな7月

「今度の8月で契約更新だけど・・・」
うんうん

「あなたは、トラブルも起こさないしちゃんとお金も払ってくれるし、とてもいい入居者なんだけど・・・」
へぇへぇ

「俺としてもこんなこと言うのは心苦しいし、できればあなたに住んでもらいたいんだけれど・・・・」
んで?んで?

「最近のタシケントの物価上昇はひどくて・・・」
へぇ、へぇ

「マンションの値段も軒並み上がっていてさ・・・特にここみたいな中心地で地下鉄の駅の真上だったりすると・・・」
結論は何?つまり値上げしたいってことでしょ!?

「今は180ドルで貸してるけど、軒並みマンション価格が上がってるから、250ドル・・・いや、あなたはいい入居者だから特別に230ドルで貸してあげたいと思ってるんだけど・・・」

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なんとなく、会話のはじめからそうなることはわかっていた。というか、更新を控えて大家がわざわざ家にお話に来ると電話で聞いた時点でなんとなくピンときてた。

大家さんは青い瞳のロマンスグレーで、どうみても白人、ヨーロピアンなんだけど、上記のように結論を先延ばしにして「相手のメンツを立てる」話し方をするあたり、アジア人のアプローチだと思う。どうみても白人だけど、あなたの振る舞いはアジアジンだよね・・・と言いたくなる。

ウズベク人がアジア人かヨーロッパ人か、ということは、タシケントに来て以来よく考えることだけれど、黒髪に黒い瞳だけれど顔立ちはヨーロッパ人のそれだったり、見た目はすっかりヨーロッパ人なのに考え方や言う事がとてもアジア的だったりして、いつもはぐらかされる。アジアジンなのか、欧州人なのか、どっちともなくてよくわからないところが、まさに中央アジアなのかもしれない。

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私は若い頃、もう15年くらい前にファストフードで働いていたことがあった。昼はコンピューターのエンジニアをしていて、夜は地元のファストフードでパティを焼いていた。しかし、ある日クビになった。理由は、店長の方針にいささか反論があって、毎日書かされる日報みたいなものに、ちょっとした店長への批判を書いてしまったこと。

翌日、店長の奥さんである副店長が、私に言った。

「あなたはクビになります。でも、二週間の猶予をあげるので、どうぞ次の仕事を探してください」

今でも一字一句覚えているそのせりふ。なんと非アジア的で、欧米風なことか。

アジアジンというのは、相手に不利益なことを言うときでさえ、遠慮がちに相手を立てつつ言うものだよ!と思った。

15年の隔たりのある2つの出来事を、今日頭の中で比較してみて、とある日本人の非アジア的な発言と、青い瞳のウズベク人のまさにアジア的な発言を比較して、今の日本は本当にアジアなのかな?などと思いました。

ーーー

それにしても、私は8月のアシアナ航空で日本に帰る(一時帰国)予約をしていて(e-TICKETは3日以上たってるのにまだ届かない)、タシケントにいるのはあと3週間くらいなのに、家は退去しそうだわ、次の家を探さないといけないし、仕事は終わらない(夏休み返上で作業中)し、もうどうにかしてほしい。盆暮れ正月が一度に来てるんじゃないのかい。

(ちなみに、180ドルで借りれそうな家は3箇所くらい知ってるし、今の家は公共料金に40ドルもとられているので、当然、値上げには応じないつもりダス。)


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自己紹介

自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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