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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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あたらしい界隈の印象

新しい家の界隈を歩き回ってみた。この地区は、地下鉄の終点駅なので、立派なスーパーマーケットはある。くまなく探すと電気屋さんもあるし、安くておしゃれなカフェもある。残念なのは、普通の、野菜とか果物が買えるバザールが遠いってことだけ。

バス停の裏手の、ぱっと見では廃墟というか、バラックみたいになってるところが雑貨屋で、狭い店内に意外と豊富な品揃えがあって助かった。そしてその裏手には、座って飲める酒屋があった。よかった、酒に困らない。

廃墟食料品店でバターを選んでいたら、ウズベク人の若者が英語で話しかけてきて、日本人だといったら、すらすらと日本語で挨拶されて驚いた。近くの世界経済外交大学(外交官育成学校らしい)で学ぶ5年生で、私のご近所さんにあたるようだ。
すったもんだして契約した部屋だけど、なかなかいい感じ。

フドジニックバス停には、この国ではあんまり見ない、白線をストライプに描いた日本みたいな横断歩道があって、母親に手をひかれた男の子が、黒い部分を踏まないように白い部分だけを踏みふみ歩いていて、子供のすることってあんまり変わらないよね、と思った。
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リモントナーダ

前の家賃は180ドルで、ひどい欠陥住宅だったけれど、更新の際には大家は250ドルに値上げしようとした。大家が強気な理由はそのロケーションで、オイベックの駅の真上にあたるから、部屋から地下鉄のホームまで2-3分で行ける。

でも、職場があさっての方向で一本のバスが無く、乗り換えが必要だった自分にはそのロケーションはぜんぜん価値が無いし、よかったのはスーパーマーケットが近かったことだけだなあ。

特に富裕層でないウズベク人が100ドルでも高い、と言ったぼろアパートだけれど、今後は誰かに貸す予定なのかしらん。今度来る協力隊員に貸そうとするのかも知れないけど、それはお勧めできない。つよく。

だいたい、部屋を高く貸すためにきっちりリモント(部屋の改修)をする大家が多いのに、あんなボロのまま貸そうとするなんてちょっとけちだし、非常識だと思う。

人間の住む部屋じゃない

それにしても、やっぱりお金をとられ過ぎだったんじゃないかと思う。

引越しの手伝いに来てくれた同僚のアクバル君いわく、

「この部屋は人間の住む部屋じゃない」
「100ドルでも住めない」
「こんな部屋に住んだの?1年半も?信じられない」

この人は、なにかと表現がオーバーなところがあるのですが、この部屋に来たほかのウズベク人たちも、口をそろえて、「ちょっとこの部屋は無いんじゃないか」ということをいうので、あながち間違いというわけでも無いのだと思う。

なお、この人たちが特別裕福な層で、豪邸に住んでいるというわけでもない。彼らの生活水準はむしろ標準より下のほうだと思う。

思い返しても、

ライトをつけようとしたら、スイッチが壊れて電気ショックびりびりしたし、
新しく取り付けたシャワーヘッドは半年で壊れたし、
地震で壁がいくつか壊れたし、地震じゃないのに壁が崩れてた日もあったし、
水も漏れた、鍵も壊されて家に入れなくなった、
窓には隙間があって吹雪の日には家の中に雪が積もった、
おまけに階下の住人には何度と無く怒鳴り込まれたし、
別の近所の人はしばしば私に「寄付」を求めてきたし、
何か問題がおきても大家も不動産屋も英語をまったく理解しないとか、

大家は無責任だし・・・
そんな状況なのに家賃を70ドルも値上げしようとしたし!
正直、ちょっと感覚が理解できない人だった。


でも自分の馬鹿なところは、JICAに紹介された家なのだから、協力隊員が住める部屋というのはこのくらい、と自分に言い聞かせて我慢してしまったところ。今回、インターネットで部屋を探したら、不動産屋も大家も英語が話せるので、JICAに出入りする不動産屋さんだったら英語の話せる人とか、せめて通訳をつけてくれるとか、という可能性は無いのかな、と思った。それと、JICAの事務所の対応自体はとても親切なのだけれど、JICAに出入りしている不動産屋さんのやっつけ具合には少し閉口する。

だから、今後の協力隊員の人は我慢しないで、住居に問題があるのならきちんと訴えて、部屋を変えてもらうとか、住居費の上限額を上げてもらうとか、ということは必要なのだと思う。物価だって年々上がっている。

新しい部屋はきちんとドアが閉じるし、暖房もちゃんと効くので、安心して住むことができます。つい先日、協力隊員の住居の上限額が引き上げになったことも大きな要因です。

ティナターナーと島倉千代子

今日、11月26日はティナターナーの誕生日なのだそうだ。

わっつ、らーヴ、がっとぅどぅー がっとぅどぅーうぃずぃっ

何気なく生年を見たら1939年なんだそうで、そうなると、61+13で74歳

74歳・・・?

ティナターナーっていつだって私の頭の中ではギンギラのボディコンを着て走り回ってるイメージがあるので、74歳っていう感じは全然なかった。

そういえばこの前亡くなった島倉千代子さんだけれど、1938年生まれなのだそうで、1歳違うけどほぼ同年代なんだな、とわかった。

島倉千代子は、初めて認識したときからお婆さんだった気がするし、ティナターナーは何度想像してもおばさんなので、その2人が同年代だというのがいまだにちょっと理解しがたい。

ティナターナー

木曜日

15時
インターネットのサイトで見つけたアパートの情報。不動産屋に電話した。彼女は英語が話せるので助かる、と思った。

16時半
バス停で不動産屋と待ちあわせ。英語のうまい中年の女性。アパートの第一印象は、暖かかった。今住んでいる欠陥住宅が隙間風で寒いので、助かった気分。オーナーは若い男性でやはり英語が話せる。

18時
会社からOKをもらうまで待ってもらうよう頼む。「ほかのお客が待っているので、早くね」と念を押される。その言葉にその後振り回されることに。
JICAに近日中のセキュリティチェック(※)を頼む。

(※)JICA関係者が住む住宅は保安の事前チェックが必要

自分の気持ち
理想的な部屋が見つかったので幸せ。

でもち

最近、やたらとデモチベーションさせられるものごとが多くて、何を書いても悪口か愚痴になってしまいそうだったので、あまり書いたりしていませんでした。

こっちへ来てだいたい一年半経ちましたけど、急にいろんなことが面倒になったり、まわりの人々に不信感を感じ得ないです。

そういうときは、何もしないのがいちばん。なのでブログも控えめです。

一眼レフを持ってきたのですが、なにかと使う機会が多くて、友達の結婚式で撮影したり、女性の同僚のポートレートを頼まれて撮ったりするうち、最近はなんと私物のカメラで撮影係をすることになりました。

そうなると、カメラのクオリティがだんだん気になってきました。

カメラは昔のD40っていう、ニコンの一番安い一眼レフです。50mmの単焦点レンズだと、晴れた日の屋外での写りは文句なしなのですが、室内とか曇りの日だと、AFも合わないし、解像度も低い気がするし、高感度撮影も最高がISO1600 なので、ちょっと物足りない。

もうちょっといいカメラと、ちゃんとバウンスライティングができるような外付けのストロボを持ってくればよかったなぁと思っています。日本に帰ったら買おう!

サマルカンドの写真・シャーヒーズィンダ廟


シャーヒーズィンダ廟






ここは、午前中に行くと綺麗です。


とてもよかった!

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自己紹介

自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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