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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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ソ連カットのポイント

ロシア語の先生は中年のロシア人女性なのだけれど、今日久しぶりに会うと、開口一番「あなたの髪はヘンね、アフリカ人みたいだわ」といわれ、挙句のはてにしげしげと眺められて触られて、「この髪はこのあたり(ウズベキスタン)にはいないから、外国人に間違えられるわね。」とのこと。
 
たしかにその日、すごく久しぶりに地下鉄でパスポートの提示を求められたのです。
 
自分では全然ヘンだと思ってないのだけれど、変だと思われる要素があるとすると、前回髪を切ったときに、あまりにも作為的に前髪を作られてしまったので、自分ではさみでじょきじょき、切ったのでした。
 
あと、柔らかなストレートか、硬いウエイビーな髪質はこちらに多いけど、私のようにストレートで硬い、サボテンみたいな髪は当地にはなかなか無いです。
 
ロシア人にしてもウズベク人にしても、前髪にはかなりこだわりがあるようで、たいていの男性が、短髪でも前髪だけをさらさらとさせているみたい、なので、ひょっとすると前髪が無いっていうのがかなりヘンなポイントなのかもしれない。
 
たまに、殆ど坊主狩りなのに、前髪一列だけ長く残して、しかも綺麗に切りそろえている男性がいて、私にはちょっと奇異なのだけれど、あれが標準なのかなあ。たしかに、前髪と後ろ髪だけが長く残ってる短髪って、ソ連カットというイメージがある。
 
まあ、自分は気にならないので別に床屋さんにも行きません。それにしても、ロシア人の中年女性の、歯に衣着せぬ感じったらない。

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ヒヴァ(4)



最後の晩はメロスb&bに宿泊しました。ここは、豪華に装飾された内装、テラス付きの部屋、よく教育された従業員が好印象でした。夕暮れ時の屋上テラスからの眺めもすばらしいです。
 
ここで、スイスとベルギーからのツーリストと知り合いました。
 
スイスのカップルは、二ヶ月かけて母国からジープでウズベキスタンにやってきたそうです。
 
ベルギーのカップルは、これからヒッチハイクでキルギスへ向かうと言っていました。
 
4名とも、たぶん50代から60代のはずで、けっこう年上なのにかなり勇ましい旅行をしていて、バックパッキングの本場は違うなぁ、と感心しました。
 
そのほか、オーストラリア人の若者カップルとも知り合いました。一度、ホテルの屋上で知り合って挨拶だけして、それから(狭い街なので)何度かすれ違うたびに会釈をして、ちょっとほかのツーリストと印象の違う人だなぁ、と思っていたら、私と同じくタシケントで、もう3年も住んで働いている人だそうで、納得しました。



ヒヴァ(3)



イチャンカラ内部の各建築物は博物館として利用されていて、個別に入場料がかかります。
 
西門で売っている共通チケットを買うと、展望台と、サイードアラウディン霊廟を除いた各博物館に入館することができます。
 
$12でカメラ撮影料は別途$3、合計15ドルで、2日間有効です。
 
博物館に興味がなくても、各建造物の内部を見るだけでも払う価値があると思います。
 
ちなみに、3カ所の展望台に上るには3500スム程度の別途料金が必要です。
 
私が一番印象に残ったのは、中央アジア初の写真家であるデヴァノフの写真展でした。100年前の人々の様子が意外にも鮮明に残されています。



ヒヴァ(2)



ヒヴァのイチャンカラでは、ずいぶん多くのヨーロッパからのツーリストを見かけました。
 
多くはフランス人の団体で、高齢の方が多かったのが印象的でした。なんでもフランスからヒヴァへチャーターの直行便が飛ぶせいで、特にフランス人が多いとのこと。
 
多くが首から大きな一眼レフを下げていて、日本人のツアー客とあまり変わりない姿でした。
 
ヒヴァのレストランはちょっと困りました。観光客向けのレストランは値段が高く(タシケントの2倍くらい)、そのうえほとんどが団体ツアー客のためにあらかじめリザーブしてあるため、個人旅行者は隅の方で遠慮して食べたり、ときには断られたりします。
 
お昼ならば東門の外側にシャシリクの屋台が出ているので、そこだと5000スムほどで食べられます。お茶とパン代を請求されなかったのが意外でした。
 
それから、現地の隊員に教えてもらいましたが、イチャンカラ西門外にある観覧車のあたりには、公園があり、公園の中にはハンバーガーのスタンドや安いチャイハナがあります。


ヒヴァ



ヒヴァにかんしては、言葉を尽くすよりも実際に一度目にしてもらったほうが、なんたるかがわかりやすいと思いました。いちおう写真にはたくさん撮ってみたけれど、イチャンカラの雰囲気がどれだけ伝わっっているかわかりません、
 
ヒヴァ・ハン国の時代に、街を取り囲む城壁ができ、城壁の中は昔のままの景観・町並みが保存されています。この城壁の街をイチャン・カラといって、世界遺産になっています。
 
土色をした街並みは、夜明けと夕暮れどきになると、光が作り出す陰が綺麗で、まるでポスターの中にいるようでした。
 
遺跡の一部で開業している理髪店で髪を切ったときに不思議な気分になったり、

 
遺跡の一部を利用して古いウズベク映画のパブリックビューイングが行われていました。
 
ちょうど、月とカルタミナル、映画のスクリーンが席から見渡せて、豪華でした。


B&Bミルザボシ


ロシア語を教えてもらってるの図

ヒヴァでは、隊員のMさんがステイ先としているミルザボシというb&bに宿泊しました。冷房も効くし、水とお湯はじゃばじゃばでるし、涼しいルーフトップがあります。留守番のおじさんと若者も、ウズベク人(ホラズム人)らしい陽気で人なつこい人たちで、良い滞在でした。
 
ここでたらいを借りて洗濯しました。洗濯しやすい宿って最高。


ヌクスからヒヴァへ

ヌクスから、世界遺産の街ヒヴァへ向かいます。
 
まずはヌクスのバザール前にあるウルゲンチ行きのタクシー乗り場で、ひとり30000スムで交渉して、2台に乗り込む予定でしたが、なんとかスーツケースが二個トランクに入ってしまったので、5名で1台に乗っていくことに。それで、あとでちょっとしたトラブルになりました。
 
運転手は気のいい人で、スピードも出さないし、あちこちで見所の案内をしてくれたり、写真をとることを勧めてくれたりしました。
 
いいドライバーさんで良かったね、などといいながら3時間、ヒヴァにつくと、1台20万スムもらわないと困る、と言い出す。
 
「ヒヴァで、ひとり3万で約束したのだから、5人で15万でしょ?」というと、あれは2台の場合の値段で、1台で運んだのだから条件が違うし、それが相場だからあと5万払えといって聞きません。
 
といっても、もしも2台だったとしたらドライバー1人あたりの収入は減るはずで、1台だから高くというのはおかしい話。むしろやすくしてもらってもいいくらいです。
 
こういうとき私なら面倒になって払ってしまいそうですが、同行の女子たちが猛烈に反発したため、結局おじさんが折れて帰ってゆきました。
 
世界のどこでも、女子のほうがお金にしっかりしているし、女子とおじさんなら女子のほうが強いよな、と(口に出さずに)思いました。


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自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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