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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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開放感と寂しさと

土曜日に活動を終えて、日曜日は、なんだか疲れ果てていて、一日中寝てました。
 
そして今日は月曜日、もう仕事に行かなくていいのか、という開放感と、とうとう終わっちゃったんだな、という寂しさがMIXされているようです。
 
寂しさに関して。
 
協力隊になるのはけっこう大変でした。仕事は、協力隊になるにしてもならないにしても、辞めていたと思うけど、応募書類はすっごい多くて、作文を書いたりして、二度の面接でしょ、二ヶ月の訓練でしょ、とくに完治している喘息の既往症の、検査が厳しかったです。なんでそんなに??っていう感じ。PC関連職種は健康で不合格になることが多いと聞いたこともあります。
 
いろいろなプロセスで、~の場合には合格取り消しとなります、という文言が出てきて、12月くらいに書類選考を通ってからも、6月に派遣されるまで、心のどこかで「合格取り消しになるかも」とおびえてました笑
 
で、無事に派遣されてからは、短いですー。1年目は、わからない言葉にてんてこまいで、2年目はあっという間。
 
開放感に関して。
 
週休1日って、小学校以来だったので、9月に着任してからずーっと連続して働いていた気がします。普通は夏に2ヶ月くらいの休みを取るらしいのですが、私のボス若干ワーカホリックなので、昨年夏も休んでませんでした。で、私もなんだかんだタスクを与えられていたので、帰国していた2週間以外は休んでません。
 
ただ、一ヶ月の語学訓練を終えた8月から着任の9月までまるまる一ヶ月空いてたので、勤務日数的には他の隊員と同じくらいになるのかな。
 
業務を終えたらゆっくりハスティイモムを見たり、いつも急ぎ足で必要なものだけ買っていたチョルスーをゆっくり見て回ったり、したいなと思っていたのに、いざ時間が出来てしまうと、家でゆっくりするのもいいかも、など思ってしまって駄目ですね。
 
私は、休暇と用事で二度日本に帰国しているので、逆カルチャーショックみたいなものはもうすでに味わっているのだけれど、帰ってない隊員たちはどうなんだろう。やっぱり、豆腐とか豚肉とか出汁なんかに感動するのかもしれませんね。
 

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活動終了

14日土曜日で、二年間の協力隊活動を終了しました。ぱちぱちぱち。
 
最終週は疲れました・・・
 
先週のフェルガナ往復の疲れが抜けないまま、今週は4回も人と会う約束があり、さよならディナーみたいなのを開催していただき、そのうえ、最終日の前日に機器が入荷して新しい小プロジェクトを開始するように言われたり(この件は別途書きます)
 
いやー、ふつう最終日の前日にそういう普通の仕事ふらないでしょー
 
でも最後の日は小規模なお見送りディナーをしてもらいました。どっかからお金が出てるような、豪華なディナーではなくて、ほんとにポケットマネー持ち寄りのディナーだったので、かえって暖かくて良いものでした。
 
お金払いたかったけど、受け取ってもらえないのがわかっていたので、少し早く職場を出て、あちこちプレゼントを買いまわってました。
 
ツムって評判は悪いけど、短時間で舶来のものをいろいろ、金に糸目をつけずさっさと買いたいようなときには、やっぱり便利かな、と思いました。
 
ソ連時代じゃあるまいし、バザールで同等のものをだいぶ安く買えるのはわかるけど、わざわざタクシー乗って遠くまで行って、目当ての店をみつけて、何軒も店をまわって値切って買うような買い方は大変ですよね。スローショッピング。
 
特に今回は7名分くらいのプレゼントを用意したかったから、バザールだとあっちの店、こっちの店めぐって一日がかりだし。

活動は終えましたが、帰国はまだ10日くらい先になります。これから、大使館へ表敬したり、面談があったり、最終的なJICAへの報告、送別会、別送品の出荷、などの用事があります。


コーカンドのノン(パン)

フェルガナ方面へ旅行に行きました。

帰りに、お土産のパンを買いました。



これ、大きさもさることながら(LPレコードよりひとまわり大きい)、重さがすごくて、多分500g以上あります。2枚で、1.5のペットボトルくらいかな。お店の人に手渡されたとき、あまりにも重くて驚いた。

食べてみると、ふくらし粉の全く入ってない、バターを使ったパンで、重いパイみたいな感じ。普通のパンの感覚で食べられないです。巨大で重いリッツってかんじ。

これはお土産になるなぁ。

あと、パンの中央の刻印を見て欲しいのですが、アクマルさんというお店の屋号と、電話番号が刻印してあります。

ご用命はこちらへ、という意味なのでしょう。

電話番号つきのパンって、世界でも珍しいのではないでしょうか。


霧雨で見えない

私は、ユーミンをいつも聞いてるような人間ではありませんが、いつも忘れない、というか、常に心の隅に留め置かれている彼女の曲が何曲かあって、ふと年に1,2回、何かの拍子にそういう曲の言葉やメロディーがよみがえってきて、ごそごそと聞きなおすことになります。

『霧雨で見えない』

という曲も、そんな曲のひとつで、どんなアルバムに入っていたのかも忘れてしまっていて、HDDのMP3を検索することになります。今日、久しぶりに聴きたくなって聴いてみると、最初のフレーズで思わず胸をつかれました。
懐かしさに ぼんやりバスを降りた
橋の上 霧雨の水銀灯

情景が浮かびますyo。

いつか、私がふと懐かしくなって、気まぐれにタシケントの空港にやってくることがあっても、その時には懐かしい人はいないのかも知れないし、この濃密な二年間をいくら懐かしく思ったって、それはもう過去のことになっているはずです。

それに、私はいつだってすぐに戻れるつもりで去っていくのに、結局いつも、すぐには戻れなくて10年も20年も経ってしまうものなのです。10年、20年というと、会える人とも会えなくなってしまうのに充分な時間です。

たった1フレーズの歌詞と音で、私をここまでメランコリックにしてしまう音楽、やばい!

ウズベキスタンが私を総括する!

お昼を外食して、満腹で初夏の暑い街をとことこ歩いていました。マキシム・ゴーリキーの地下鉄駅の地下道を通っていると、いつもそこで警備している警察官が、なぜかニコニコしながら近づいてくるので、とっさに身構えたのですが、顔を良く見ると知ってる顔でした。

「あーーーっ!」

私のブログの中でもかなり古いキャラの、でした。

私がはじめに住んだアパートの最寄のマガジン(コンビニ)で深夜の店員をしていた青年です。タシケントの町だと、ウズベク語で話しかけてもロシア語が返ってくるようなことが多くて、往生していた頃、その青年だけは、私がウズベク語を話すのを喜んでくれて、「ここはウズベキスタンなんだから、ウズベク語で話してくれよな」と満面の笑みでいつも言っていました。

その彼がいつのまにかミリツィア(おまわり)になって、最寄り駅で警備しているなんて。

「元気?何してるの?いつからミリツィアやってんの?」と、ふきだしながら聞いてしまいました。

23歳の彼は、4ヶ月前からミリツィアをしていて、今はMG駅の担当なのだそう。

身体が細身なので帽子も制服もまだあんまりマッチしていない感じだけれど、一年もすれば立派なタシケントのお回りさんになってるのでしょうか。

深夜のコンビニの店員なんかより、警察官は立派な仕事だし、愛国者なのだろう彼らしい選択だな、と、再会を嬉しくおもいました。

ここにきて、自分はとくに望んだわけじゃないのに、偶然いろんな出来事が私の二年間を勝手に総括してくれているようで、あまり超自然的なものは信じていないけれど、さすがに、「フド(神)の国だなぁ・・」と思わざるを得ません。

総括が向こうから勝手にやってくるの、おもしろい!

クルト

クルト、っていうお菓子があります。

ヤギのミルクでヨーグルトを作って、それを乾燥させて団子にした、お菓子

で味は、塩味のヨーグルトってかんじ?

私はこの、ほうさん団子みたいな見た目のお菓子が苦手でした。ウズベキスタンに来てすぐに、子供にもらったものを齧ったとたんにすっごい違和感があって、ペッ、て吐き出してしまって以来、食べていませんでした。

それが、克服できたようで、おとといのドライブで同行者がクルトを買って、ひとつもらって久しぶりに食べてみたら、あれ、なかなかイケルんじゃない?と思って、パクパク食べました。ビールに合いそう。

人の味覚って変わるものだなぁ、と遠い目をしてしまった。

これ、大きさも手ごろで量り売りしているし、大量に買っていって小分けにして配れば、日本へのお土産に最適じゃないの?と思いましたが、殆どの日本人は食べれないのかもしれないと思い直しました。

ところで、タラカン(ごき)対策ですが、結果は、インド製のチョーク一択でした。ロシア製のジェルのものは、多分効き目はあるんだろうけど、この乾燥した気候だと、塗ったそばから気化して乾いてしまって、2,3時間たつとかぴかぴに乾いてしまうので、ゴキも見向きもしないです。

その点インド製のチョークは、はじめから乾いてるし、毎朝キッチンを見ると1,2匹ひっくり返ってるのが見つかるので、良いです。

タシケントでゴキブリ対策が必要な人はぜひ、バザールでインド製のごきぶりチョークを買うと良いですよ。



右上のMAGICっていうもの。2014年時点で4500スムでした。


雑記

ウズベク人は、他者を尊敬することに関しては日本人や韓国人にひけを撮らないんですよ、ヨーロッパ人とは違うんですよ
 
ということを、けっこうたくさんの人から言われるのです。
 
確かに、ウズベク人はとてもアジア的な丁寧さ、他者への優しさがあり、ほっとする瞬間も多々あります。
 
バスに乗れば、若者は必ず年配者に席を譲るし、職場でも私が年長者になるので、私が先に扉に入るように譲ってくれたり、気を遣うことに関しては他の国には見られない、丁寧さがあると思うのです。
 
しかし、昨日のブログにもちょっと書いたけれど、それとまったく反対の行動も多々あって、いつも不思議だと思います。
 
先日用事でちょっと日本に帰ったときに、タシケントに帰った便はモスクワ発で、深夜の2時に大勢のウズベク人男性とともにタシケントに就きました。
 
イミグレーションは毎度のことながら遅くて、かなりの人々がごった返しています。
 
こういう場所でウズベク人は全然行列を作らないし、割り込み当然、俺が先に行って当然、といった自己中心的な態度になるので、私は内心むかむか、怒っていました。
 
ある若者が後ろから来て、何気ない態度で私の横に並んでごつごつと私の身体に接触してくるので、迷惑だなーと思って体をずらしたりすると、その隙に私の前にさらっと割り込みします。そ知らぬ顔をして。
 
トラブルになりたくないので、迷惑だなーもう!と思う程度なのだけれど、結局そんなことが5回も6回もあり、私がイミグレーション通過したのは一番最後になりました。1時間半以上待ちました。
 
ウズベキスタンで待ち行列にいるときは、前の人との隙間を作っては駄目!
 
昨日のフェルガナからの旅もそんな感じ。道中にはチェックポストがあって、多くの車が待っていますが、窓口(レーン)は三つしかないので、横に6列くらいになった車が3列に並びなおすのに、割り込み当然、といった具合に割り込んでいきながら、自分が割り込まれるとクラクションを鳴らして威嚇したり、酷い場合は車から降りて怒鳴りつけたり、あまり美しいものじゃない。
 
街中でも、駅の切符売りとか、席の限られた乗り合いタクシーに乗るときとか、とにかく我先、他人などお構いなし!という態度をよく見ます。
 
他人を敬うウズベク人、他人を蹴散らすようなウズベク人、どっちも本当のウズベク人で、相反したように見えるキャラクターが同居しているのが何故だろう?といつも思います。
 
ウズベク人同士だと、他人でもあまり距離感がなくて、友達の友達は友達、というより、「ウズベク皆兄弟」といった距離の近さ(フレンドリーさ)があるように思うので、家族的な遠慮の無さがそういうところに現れるのでしょうかね。
 
それにしても私はウズベクじゃないので、お手柔らかにしてもらいたいものです。

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自己紹介

自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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