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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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次は飛行機にします

フェルガナからの帰りは、正直しんどかったです。
 
体調は、昨日のヲッカ漬けでお腹ごろごろ、トイレに行けないので水もあまり飲まない、そのうえ9時から15時の移動だと、時間的に一番暑いわけで、後半は死人のように移動しました。
 
「俺も昔は若かったおじさん」のテンプレみたいで恥ずかしいのだけれど、20歳くらいのころ24時間の乗り合いバスにも乗ったり、しました。でも今は40歳。もう無理。。
 
フェルガナからタシケントまで6時間、時速120キロのタクシーに乗っただけで、次は絶対飛行機、と決めました。
 
もう、暑くて暑くて、ひじゃくなおじさんの弱った身体にこたえるし、トイレも行けないから緊張しているし、スピード出すのでひやひやするし。
 
おまけに前日は仮眠でシャワーも浴びてないし、結婚式のために革靴はいてるし、歯も磨いてない。
 
あと、いろいろと時間がかかった理由は、
 
チェックポストで私が、外国のパスポートなのにレギストラツィアをしていない、と咎められて、遠くのイミグレオフィスまで歩いて、結局私はタシケントで滞在許可があるので問題ない、ってことになったり、
 
途中の別のチェックポストが大変混んでいて、そういうところではウズベク人はまったく並ばない、順番守らない、横入り当然、横入りされたら怒ってクラクションで威嚇、といった態度になるので、精神的に疲れたり、
 
途中、2車線しかない峠で事故車が道を塞いでいて、長い間待たされて、やっぱり出来る限り我先に行列の前に行こうとするウズベク人の危険運転でナーバスになったり、
 
といったことがありました。
 
幸い、私たちの運転手は若いのに運転がうまくて、あまりまわりの運転手とトラブルにならずに上手く横入りしていたので、良かったです。時々クラクションは鳴らしてたけど。
 
あと、田舎の若者でタシケントの道を良く知らないせいで、私の家まで行く道がわからずメトロの駅の裏の行き止まりに着いてしまって、トラムの道に行きなおして欲しい、というと、不満げに「えええーぃ」と言うので、怒って「じゃあ歩いていくから、もういいよ!」と言いました。
 
もうそのときは疲れと暑さで半分死人みたいだったので、家まで歩くのもしんどかったのだけれど、不満を言われながら、あれこれ家への道を説明するのも億劫で。
 
すると、あわてて「タシケントの道は良く知らなくてごめんなさい」と言っていたので、もう少し優しい態度をすればよかったかな、とも思います。

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新郎の友人との会話

フェルガナ出身の新郎の友人は、30代でノリに乗っているヤングエグゼクティブというのか、普通に公務員やってるおとなしいウズベク人とはちょっと違っていて、面白かったです。
 
英語はペラペラで、年に何度も韓国や中国等に商談に行くのだそうです。
 
彼は、外国に慣れているのもあって、ウズベキスタンのなってないところをビシバシと指摘します。
 
道中のトイレで400スム払うときに、私は持ち合わせが無かったのであとで払いに行こうとすると、「払いに行くな!」というので、なぜか訊ねると、諸外国ではレストランにトイレがあって、無料の石鹸やペーパータオルがあって、清潔なのが当たり前じゃないか、どうしてウズベキスタンでは、掃除もされてない汚れたトイレで、水も出なければ紙も置いてない、そんなものに金を払うのはおかしいじゃないか、と言います。
 
結局私は払うことができませんでした。
 
私は、諸外国と比べてあれやこれや、思うことはあるけれど、諸外国とウズベキスタンは同じではないし、当事者(国民)ではないのにあれこれ指摘するのも本分じゃないと思うので、なるべく、(なるべく!)、そういう指摘はしないようにしているし、現地の一般の人がしているのと同じようにするようにしています。
 
彼は、ウズベキスタンの人は小金持ちになってもマインドはプアーなままなのだ、と憤っていました。
 
なにかの拍子で、ウズベキスタンにおけるロシア語の話になったときに、彼の瞳が急に憎憎しげに燃えるようになって、言いました。
 
「ロシア語はウズベキスタンの共通語でもない、ロシアはただの外国なのに、どうしてロシア人は当たり前のようにロシア語を使って、ウズベキスタンにはロシア語しか通じない場所があって、ウズベク人でさえ、ロシア語を話そうとするのか!」
 
なんでも、ウズベキスタン航空でチェックインしようとしたときに、カウンターの女性職員は顔も、ネームプレートに書かれた名前もウズベク人だったので、当然ウズベク語で話したところ、「ウズベク語がわからないのよ」と言われ、「だってあんたはウズベク人だろう?それにウズベキスタン航空はウズベキスタンの公共サービスじゃないか」「でも私は混血なのよ」という押し問答をして、激怒した彼は、怒鳴りつけた挙句マネージャーを呼んで、きっちり本社の苦情係にもクレームを入れたのだそうです。
 
彼が言ってることは、私がウズベク語を学んでタシケントに来て最初に、「ウズベク人がみんなロシア語で話そうとする」という経験をして以来もやもやと悩んでいることとまったく同じでしたので、私の琴線にぴったーん、と触れてしまったのでした。
 
確かに彼が言うとおりで、この国の公用語はウズベク語、でも町の共通語は実際にはロシア語で、ロシア語しか通じない場所・人はいぜん沢山あって、ウズベク人でさえロシア語のほうが得意な人は多い、というびみょ~な面白い状況。
 
それについて、当のウズベク人は実際のところどう思っているの?と思った挙句、タシケント人に色々尋ねたことがありましたが、誰も口をそろえて、「だって昔からそうなんだし、しょうがないんじゃなーぃ?」みたいな回答しか帰ってこなくて、私の中のもやもやは解消せず、帰国直前になって、フェルガナ人の彼のそういう主張を聞いたときに、「あ、これが自分が期待していた回答なんだ、本当は心の中でこういう答えを期待していたんだ」と気づきました。
 
でもなー、やっぱり、そうは言っても、というのが本当なんだと思います。2年働いてみてわかったのは、まだこの国の30代以上の人々のマインドは、ソ連人(ロシア人でもウズベク人でもなく)なので、会社や職場がソ連人によってRunされている以上はロシア語を疎外することなんて無理じゃないかと、思うこともあります。
 
でも、日本に帰る前に、私が内心期待していたような「答え」を偶然聞くことができて、個人的には満足、することができました。自己満足ですが。

フェルガナへ

フェルガナへ
 
フェルガナへ行ってきました。友人の結婚式に出席するために、一泊二日の弾丸ツアーでした。
 
朝6:00 タシケント発
友達をピックアップしたり
朝11:00 コーカンド(クコン)着 友人宅で休憩
昼12:00 ~ 15:00 新郎の家で新郎のおじさんとヲッカ
16:00 ~ 19:00 新郎の友人宅で昼寝
19:00 ~ 22:00 披露宴
22:00 ~ 24:00 新郎の友人と二次会(ヲッカ)
24:00 ~ 6:00 新郎の友人宅で仮眠
9:00 ~ 15:00 コーカンド経由でタシケントへ帰着
 
帰りが6時間もかかった理由は、
・途中コーカンドで車を乗り換えた
・峠のチェックポスト行列2回
・チェックポストで私のパスポートチェックでイミグレ(国内旅行なのにイミグレいくの)
・峠の二車線の道路で事故車が道を塞いでいて渋滞30分
・タクシーの運転手がタシケントを知らなかったので私の家まで行き着かなかった
などの理由がありました、

洗濯筋

タシケントで2年暮らして、体重が3キロ増えて、体脂肪率も4パーセントくらい増えました。ちょっと気になって計算してみたら、除脂肪体重は変わらず、体脂肪だけがきっちり3キロ増えていて、笑いました。
 
そりゃーねー、まったく運動してなかったから、3キロで済んでよかったと思うべき。
 
ところで、まったくスポーツとかしてないのに、肩の三角筋というんでしょうか?あの部分だけが妙に筋肉質になってるので、不思議でした。でも、昨日気づいたのですが、洗濯のせいです。
 
洗濯機が無いので、週に2-3回はたらいで手洗いするのですが、あの洗い→絞る動作で、かなりその部分の筋肉を使ってるみたい。洗濯筋ですなぁ。
 

詩人が好きなわけじゃなかったみたい

ウズベク人って、よっぽど詩人が好きなんだなぁ、と長いこと思っていて、人にもそうやって吹聴していたのですが、どうも間違ってたみたいです。
 
タシケントのメトロの駅は、半分くらいが詩人にちなんだ名前がついているため、そう思っていたのですが、それはモスクワの地下鉄駅の命名ルールを真似てそうしているのだそう。
 
なぜ詩人なのか?
 
というと、政治的な人物だと、政変があって急に評価が変わる可能性があるから、そのたびに駅の名前を変えていたら大変。一方で詩人なら、そうそう評価が変わらないうえに、有名で誰でも知っているから、という理由だそうです。
 
なんとも、ソビエト・ロシアらしい理由で駅の名前が決まるのですね。でも普通に地名とかストリートの名前じゃ駄目なのかな。
 
なお、アリシェルナボイー氏は、現代ウズベク語の基礎をなした人物なので、疑いなく人々に尊敬されている詩人です。

ごきぶりと粗悪品つかまされた話

あと2週間だからほっておいても良かったのかも知れませんが、ごきぶり屋敷にしてしまうとアパートの大家にも悪いし、などと日本人的な気持ちになって、タラカン対策することにしました。

私のキッチンの使い方が悪いのかもしれないけど、冬が終わるととたんにタラカン(小ぶりのごきぶり)が大量発生してしまって、夜のキッチンだと所構わず歩き回ってるし、たまに湯沸かし器に入り込んで溺死していたりして、ウゲ、と思っていたのでした。

以前、前のアパートで同じようなことが起きて、そのときはバザールで買ったロシア製の薬が効いたことがありました。

話がそれますが、ウズベキスタンでは、日本とは商売の仕方が異なるので、近くのコンビニやスーパーが色々と品物を取り扱っているわけじゃありません。当初、ごきぶり駆除薬はどういうお店の担当なの?っていうのがわかりませんでした。

ウズベキスタンの薬局・・・人間の薬だけ
ウズベキスタンのスーパー・・・食品中心で、その他のものは品揃え薄
ウズベキスタンのコンビニ・・・飲み物とかお菓子、タバコ

いずれにしても、身近には売ってないんです。

日本のコンビニとか薬局って、そんなものまで??と驚くものが売ってるので、すごいです。日本のコンビニ一軒で、ウズベキスタンのスーパーと薬局とコンビニ、それとバザールの日用品をカバーする品揃えです。

チョルスーバザールに行くとおじさんが露天で、外国製らしい害虫駆除薬を並べて売っているのを見たことがあったので、前回は、電車に乗ってわざわざバザールまで買いに行ったのでした。

今回も、露天の兄さんを探しにチョルスーへ。前回、効き目が良かった同じ薬を買ってきました。

日が暮れてから、キッチンのあちこちにラップを貼って、丁寧に駆除薬を塗りこんでゆきました。

夜が更けてから見てみると、たしかにゴキブリが集まってるんですが、前回みたいに薬のまわりで大量にひっくり返ってる感じじゃなくて、どうも、おいしそうにお薬を召し上がって優雅に帰ってゆくではないですか!!

今回買った薬は、前回のと同じものと思っていたけど、どうも古くて薬効が切れているか、悪い粗悪品だったようです。くやしー。

しょうがないので、その日は諦めて、改めて薬を買いなおすことに。ウズベキスタンでは粗悪品を買ったりすることも、多々あるのでめげません。人々が普段から買い物に慎重なのを身をもって理解します。

火曜日、ちょtっと外で用事があって時間ができたので、今度はアライスキーバザールで探してみました。食料品では売ってない、布やさんでも売ってない、それならば、と、プラスティックの盥(タライ)とか洗剤を並べてる店を覗くと、あった!ねずみ駆除薬や農薬みたいなのと並んで、ごき駆除薬がありました。

二年間で、私の探し物を探し当てる能力は高くなった気がします。

店員の勧めで、8500スムのジェルタイプのと、前回も買ったインド製のチョークも購入。前回のリベンジもあるし、こうなったら徹底してやるの。やっぱり、露天と違ってお店でちゃんと管理して売ってるものなので、買ったときからきちんと効きそうな予感。

効果はまたリポします。


左上、効かなかったロシア製
右上、前回なかなか効果があったインド製
下、今回期待しているロシア製

ヒムチスカのこと

前の住宅では、隣のビルにクリーニング店(ヒムチスカ химчистка)が入っていて、苦労しなかったのですが、今のエリアには全然見かけなくて、駅を過ぎてもっと遠くのほうまで歩いていかないと、クリーニング店がありません。
 
それで、以前なら季節の変わり目にはいろいろ出していたのだけど、あと半年だし、いいか、などと思って利用していませんでした。
 
(他の隊員に聞いても、あまりクリーニングを利用しているって話を聞かないし、みんなどうしてるんだろう?)
 
ところが帰国前にいろいろ表敬したりしないといけないので、せめてワイシャツだけでもと思い、やっとこさ重い腰をあげることに。
 
駅の向こうのヒムチスカは、「年中無休で夜7時まで営業です」と店員の兄ちゃんが無表情に告げてくれたので、そういうことらしい。それなら、仕事終わりにも行きやすいし、便利です。
 
それでワイシャツ一枚だけ出したのですが、15000スムでした。日本円で500円。高い!!
 
日本だと150円くらいじゃないでしょうか。収入が日本の半分とか1/4以下であることを考えると、ちょっと理解しがたい値段ですね。
 
これでは、多くの人が言ってるように、「誰も利用しない」し、店が無いのもうなづけるなぁー。ちょっと無理してでも家で洗うでしょうね。需要が無いから供給も無いっていうのがわかります。

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自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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