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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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フェルガナの広告ノン

先日フェルガナで買ったノン、硬くて、重くて、大きくて、なかなか食べきらなかったです。二枚も買うんじゃなかった。
 
でも、はじめから膨らんでいないので、乾燥もしないし、冷蔵庫に入れておけば殆ど品質が変わらないのですね。ちょっとずつ千切って、結局二週にわたって食べ続けて、もうすぐ、なくなりそう。このノンのために、チョコレートスプレッドまで買ったんです。
 
最後の一口を食べたらまた食べたくなるかな。

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同期大好き

協力隊には伝統があるので、いろいろと、やっぱり「協力隊だったらこうあるべき」とか、「○○国の協力隊員はいつもこうしています」というのがあると想うのですが、私はわがままなので、いろいろ理解しつつも、「でも私は私なので」とか「でも私は私ですから」という態度を通してしまうことが多かったと思います。
 
協力隊には、同期隊員といって、訓練から帰国まで2年間ずっと一緒にいる仲間がいます。JICA的には、同期隊員同士で助け合って、途上国の不便で悲惨な生活にも耐えてもらいたい、という意図があるかと思います。ひとりきりだと、色々思い悩んで苦しんだ挙句、壊れちゃったりするケースもあるかと思います。
 
私の同期隊員は、5名いて、年齢層が高めだったせいか、自立していて、自分の楽しみは自分で見つけられるような人が多かったです。だから私がわがままでも暖かく見守ってくれて、良い同期に恵まれて本当に良かったと思います。
 
若い隊員も、駒ヶ根で見た協力隊員の平均値?より、だいぶ大人な若者だと思います。やっぱり、ウズベキスタンだからそういう人選だったのかな?

再会パート2

先日、コンビニの店員だった友達が警察官になって最寄り駅にいた話を書きました。
 
今度は、前のアパートの最寄のスーパーでいっつもレジを打っていたサマルカンド出身のD君に再会しました。ほんと、仕組まれたように懐かしい人に会えるようになっている?!
 
住んでいた頃は毎日顔を合わせていて、引っ越してからは足が遠のいてしまって、たまに近くを通ったときも挨拶だけに立ち寄るのはなんだか気恥ずかしく、彼にはもう会わないだろうと思っていました。
 
昨日、ツムの前を通ったときに水とジュースを買ったら、「えー、オルトック!(おー、ともだち)」と呼ぶ声がするので見ると、D君が座ってました。転職だかなんだかで、今はツムのスーパーで働いているそうです。
 
ひととおり世間話して、電話番号を交換して、日本に帰ったらWhat's appでメッセージくれ、と頼まれました。
 
ウズベキスタンおもしろいなぁ。

おおげさなラウンドアバウト

アミールティムール像のまわりには、おおげさなラウンドアバウトがあって、法科大学、ふたつの時計台、ウズベキスタンホテル、ティムール博物館があります。緑が多くて、晴れた空の青い日にはなんとも美しい。
 
今日、ツムのあたりのSVさんの家に行く際に、アライバザールからバスに乗って、バスには2人しか乗ってなくて、午後の西日が痛いくらい熱くて、件のおおげさなラウンドアバウトを周るときに、元ちとせの君を思うという曲を大きな音で聴いていて、おもわず○○しました。(お好きな単語を入れてください。)
 
夏の木の緑と空の青と、ウズベキスタンホテルがあまりにもまぶしくて、はじめてタシケントに着いた日のことを思い出してしまったせいです。
 
この地にもう二度と来れないというわけではないけど、いつかこの場所に戻ってきたとしても、この時間が戻るわけじゃないし、同期隊員はもう居ないし、今は二度と来ないんだな、と、当たり前のことを思ったのでした。

Gerry GoffinそしてMadonna

おとといの夜、翌日の送別会で何か歌うことになったらどうしよう、と思って、Carole KingのIt's too lateを布団の中で諳んじてみたら、まだ覚えていたので、眠りました。翌朝、ニュースを開くとある訃報が。ジェリーゴフィンが亡くなられたそうです。

私にとって、Joni Mitchellなどは、まだ生きてるのかなぁ、と定期的に確認するのだけれど、ジェリーゴフィン氏は正直、まだご存命だったの?という気持ちがありました。

10代の頃から、今に至るまでずーっと愛聴している、Carole Kingの『Tapestry』いまでも何曲かは空で歌えると思います。このアルバムは、Caroleとジェリー氏の関係(結婚生活)が終わってから、または終わる寸前にリリースされたものなので、共同制作と言う言葉が適切かわからないけれど、キャロルキング&ジェリーゴフィン時代の集大成というにふさわしいものと思います。

あの歌詞も、そしてあの歌詞も書いたあの方、なのです。

その名前を聞いただけでいくつもメロディーが頭に浮かぶというか。

だから、哀しいとか、さびしいというのではなくて、でも記録しておきたいと思いました。


結局、体調が悪くて送別会ではずっと水飲んでいて、歌うどころじゃなかったです><

一方マドンナは、もう幾つになったのかを話題にするのも飽きたっていうか、やっぱりレオタードを穿いて自宅の鏡張りのスタジオで自分のセックスアピールを確認しているのね・・・というビデオを公開していて、この人は、その時々で相棒は変わるものの、してること、メッセージは一貫して変わらないなあ、と、妙に懐かしい気分になりました。もう余裕で20年くらいはこの路線で頑張っているでしょう?すごい人物ですわー。




1ドル360円??

先日来られたSV(シニアボランティア)の方とお話していたら、1966年、まだドルが固定レート360円だった頃に1年間インドを放浪されたそうで、すっごーぃ。20歳の誕生日をインドで過ごされたそうです。
 
私は1995年頃にインドを1年間放浪していて、22歳の誕生日をインドで過ごしました(20歳は中国、21はタイ)。若いボランティアの方にはすっごーぃ、と言われたりしましたが、上には上がいるもんですよ。いやはや。
 
もう少し残ってインド話などしたかったなぁ。

灼熱朦朧疲労困憊

郵便局で荷物を送って、11時半。それから、NBUへ行って銀行口座の解約の用事がありました。たしか、お昼休みは13時からだったと思うので、間に合う、と思ってタクシーでNBUへ行くと、12時からお昼だから入れない、って断られました。あれーー、12時からだったのか。
 
たしかに従業員がぞろぞろビルから出て行くのが見えます。この銀行はお客より圧倒的に従業員が多いのが不思議です。つねに、客1に対して従業員10人くらい見ます。
 
それにしても、こんな都心の真ん中で1時間の待ち時間ができても、時間をつぶすアテがない。日本みたいに喫茶店だのマックだのがあるわけでもなく、ちょっと歩けばilly'sがあるけど、今の持ち合わせ(2万スム)で足りるかどうか不安で、結局、マキシムゴーリキまでバスで戻ることにしました。それにしても、暑い。
 
ビジネスセンターやNBU、インターコンチネンタルホテルは、遠くから見てもかっこいいのだけれど、見た目重視のエントランスと厳しい入場制限のせいで、目の前にあるのに、建物に入るのに延々と炎天下を歩かないといけなくて、不便なのです。おりしも、韓国の大統領が来ウした日で、インターコンチに宿泊しているとかで、私が普段使う出入り口は封鎖、JICAやNBUへ行くためにいつもよりさらに遠回りする必要がありました。
 
延々歩いて、バス停へ行って、なかなか来ないバスを待ち、暑いバスで20分。目当てのカフェに着いたときにはもう1時。暑さで意識も朦朧。タシケントじゃ、郵便局と銀行に行くだけで一日仕事&疲労困憊で大変。

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自己紹介

自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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