ウズベク人がどこから来たのか?
をインターネットで調べ始めたら、なんと一週間以上かかってしまって、しかもソースがインターネットなので信憑性も無いし・・・で、散々。もう、わかんない、って結論でもいいような気がしてきたけど、いつか腰をすえて勉強できる日がきたらいい。
ただ、わかったことは、今テュルク系と呼ばれる人たちは、いろんなテュルク系言語を話す集団をひとまとめにそう呼んでいるだけであり、とくに人種的に繋がりがあるわけではなさそう、っていうことです。
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現在のトルコ人やウズベク人の祖先にあたる人たちは、中国の文献によると6世紀あたりに、シベリアからカザフにかけての広大なエリアを遊牧していた突厥と呼ばれる集団です。
写真が残っているわけでもないので、どんな見た目をしていたかは想像するしかないのですが、今のテュルク語の原型のようなものを話していたようなので、全テュルクの祖先といってもいいでしょうね。
その後テュルクは長い時間かけて西へと進んで、オスマン帝国をつくり最終的に今のトルコができています。
今ウズベクと呼ばれる人たちは、元々中央アジアに住んでいたペルシャ系の人々(ソグド)とテュルクが混血して、さらにモンゴルに征服されモンゴルが混ざり、モンゴル帝国の中の1グループ(キプチャク・ハン)が、ウズベクを自称しはじめたのがルーツだそうです。この頃、モンゴル人もイスラム化して、テュルク語を話すようになったので(テュルク化したモンゴル)、この時点でモンゴルとペルシャとテュルクのブレンドなのですね。
今、カザフと呼ばれる人々は、モンゴル帝国になってから(15世紀頃)に、キプチャク・ハンから離反した人々と言われています。結構ルーツが浅いですね。15世紀にウズベクから分離した人々のわりには、ウズベクとカザフの見た目が随分違う(コーカソイドのウズベク、モンゴロイドのカザフ)のは何故なんだぜ?
一方、キルギスと呼ばれる人々はかなり昔から存在していて、中国の歴史書によると9世紀頃にウイグル(回鶻・突厥から派生したグループ)を滅ぼしたそうです。だた、今のキルギス人との関連は不明。ただ、この人らが純テュルクなのかというと、唐に支配されたりモンゴルに支配されたりしているので、混ざってるのは間違いないですね。
トルコ人はというと、11世紀頃に中央アジアからアナトリア半島に流入した(ルーム・セルジューク朝)トルコ人がのちのオスマン帝国を作るので、モンゴルが混ざる前のテュルクなのかな、と思いきや、既に中央アジアでテュルクとペルシャは共存して混ざっていたのだろうし、西へゆくうちにペルシャと混ざり、アラブと混ざり、ローマ人と混ざり、さらには一時モンゴルもアナトリア半島に来ている(アンカラの戦い)ので、モンゴルも多分混ざり、今のトルコ人になっているのですね。
今、ロシアのタタールスタン共和国に住む、タタール人という集団(韃靼人とも言うらしい)は、見た目はすっかりロシア人で金髪碧眼も多いですが、タタール語もテュルク語のひとつなので、テュルクと言われています。この人々は、7世紀くらいにフィン・ウゴル系(いまのフィンランド人?)が住んでいたヴォルガ地方に行ったテュルクがルーツと言われてます(1混ざり)。その後13世紀にモンゴルに征服され(2混ざり)、16世紀にロシア帝国になり(3混ざり)、今に至るそうです。この人々もイスラム教を信仰しテュルク系言語を話すためテュルク系ということですね。
つまり、2000年かそれ以上かけて全ユーラシアに、現地の人種と混血しつつ広まったテュルク語を話す人々のことを、ひとまとめにテュルクと呼んでいるのが現状で、人種的に純血なテュルクという人たちはもう存在しないのだということがよくわかりました。
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日本は島なので、あまり混血が起きていない(混血しているけど、せいぜい縄文人と渡来人、コリアンと中国人)ので、こういう大陸的な壮大な広がりを想像できないのですよね。だから私も、テュルクと言われて、テュルクってどういう人たち?って思ってしまうのです。でも、テュルクっていう見た目はもう存在しないし、テュルクは人種じゃないのですね。
それにしても、これだけの歴史を経て、いろんな文化と混ざりつつ今でもユーラシアじゅうで使用されているテュルク語って、どんだけすごいんだ?と思います。言語の優性遺伝ですね。
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