火曜日にノリで強いウォッカを呷ってしまい、昨日は青い顔をして出社した。何を読んでも書いても、眠りたい。なんとか定時まで仕事して帰宅してベッドに直行して、今日は10時まで死人みたいに眠っていた。今日(5月9日)はウズベキスタンの戦勝記念日だから学校は休み。
第二次大戦の戦勝記念日なら8月じゃないのぉ?と思うほど歴史に疎い私なので、そういうときは読む。
Wikipediaを。
1945年5月8日、ベルリンでドイツが第二次世界大戦の降伏文書に調印したことを記念してヨーロッパ諸国では5月8日が戦勝記念日であるが、モスクワ夏時間では5月9日未明のことであったため、ソ連を構成していた諸国やソ連の影響下にあった東欧の一部の国などでは5月9日が記念日になっている。
ヨーロッパのほうの対独戦勝記念日は5月8日だけれど、時差の関係でモスクワ時間だと5月9日だったために、旧ソ連圏では9日を戦勝記念日としたそうだ。いずれも、ベルリンの地下壕でヒトラーがピストル自殺した8日後に、ドイツが降伏文書に署名したことを記念する日だそうだ。
タシケントの中心、独立広場近くには、戦没者を記念する慰霊広場がある。何枚もの大きな銅版には、大戦でのウズベキスタン出身戦死者の氏名と、生日付、没日付が刻まれている。多くの人が20歳前後の若い頃に命を落としているのを見ていると、実直で、なにより家族が大好きで、結婚が人生一度の大舞台と考えているこの国の人たちが、異国で20歳そこそこで死んでゆくのはさぞ無念だったんだろうと悲しくなる。
ドイツが降伏した5月から玉音放送までの間、日本では一億玉砕といって、悲惨な沖縄戦のすえに広島、長崎の原爆にいたるまで、やはり若い命が失われていったのだろうと思うと、また切ない。
ところで、ウズベキスタンでは、ドイツに特別に思い入れのある人に会うことが多い。どうして、日本でもフランスやイギリスでもなく、ドイツなのか、というと、ウズベキスタンの人のおじいさん、曾おじいさんの世代はソ連兵としてドイツと戦って、敵国ながら色々とあっぱれなうわさを聞いているからではないかと思った。今日話した青年は、ドイツの品質がいかに高いかを語る際に、「彼らは、下っ端の兵卒なのにとても品質のいい軍服を着ていたそうだ」と引き合いに出した。
実は私は、ウズベキスタンについて考えるときに、今現在のウズベキスタンの印象があまりにも強すぎて、あまり「旧ソ連」と考えたことがない。だから時々、旧ソ連だ、と思い出すにつき、はっとビックリしてしまうことがある。
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