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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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堕ちた天使の街



バンコクの廃人窟でビールを飲んでいました。
 
女がたびたび私のライターを借りにきて、その女の格好からすぐに、たちんぼ系の人だとわかったけれど、バーツはあまっていたし、バンコク最後の夜だし、たちんぼの女の身の上話を聞くのもいいかも、と思ってビールをおごることにしました。
 
聞くと、私と同じ年で、私が一年間住んでいた場所の近くの出身の、東北タイ人。私にとってはイサーン方言が話せる仲なので、すっごく盛り上がりました。
 
彼女は20年前に、タニヤという日本人御用達の風俗街で働いていて、当時はよくモテたそうです。今でも、タイ人の女性にしてはスリムで、色艶も保っていましたけど、やっぱり40歳という年齢なので、もうそういう場所では働けなくなったそう。
 
一度、日本人を相手に身ごもってしまって、産んだ息子は、子供がいなかったその日本人夫婦にとられて、会うこともできないのだそう。
 
そういう人は一般的に、同情を引くためにそういう哀しい身の上を語るものなので、噓か本当かはわかりませんが、ビールを飲んでいくうちに、多分本当なんだろうな、と思うようになりました。
 
余談ですが、タイのセックスワーカーの女性・男性は、チップを得るために、いろいろと噓をつきます。
 
「私、二週間前に働き始めたばっかりで、何も知らないのよ」
といいますが、多分何年かずっとそういってるのだと思うし、
 
「あなたをひと目みただけで好きになっちゃった。どうしよう、キスしてもいい?」
などと言うが、たぶんちゃんと恋人はいて、仕事がはけたら冷めたカオをして恋人の待つ家に帰るのだろうし、
 
そんな営業トークを聞きながら、「うそつけ!」「冗談きつい!」と思いつつ、騙されたふりをするのも一興なのかも。
 
おもいのほか、楽しくお酒を飲めて、暫定的な彼氏らしいイタリア人男性も合流して、テキーラ、テキーラ
 
でも、彼女はかなり、恨みをためている女性だったらしく、あるヨーロピアンが店にきたとたんに鬼の形相になって、喧嘩を売りにいきました。そっから先の流血騒ぎは先のブログに書いたけれど、とんだバンコク最終日になりました。
 
そんなこんなで、タイの最後の一週間で出会ったタイ人たちは、もう、いい加減にせい!といいたくなるような人たちばかりで、でもなんだか、憎めないし、救急病院のお金払ってあげたけど、もう私のことなんか忘れて、頭に包帯巻いたままいつものようにカモを探していることでしょう。
 
(たぶん、私が救急病院に連れていかれた理由は、誰も金をもってないから、財布がわり。でもいいんだよ、それで。)

こちらもあわせてお読みください。そういうことを思ったのはこの出来事がきっかけです。

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ヘイトスピーチ

古今東西、人はどうしたって平等には生まれないものだと思います。
 
半端なく貧しい国、家に生まれてしまう人もいれば、リッチな家に生まれる人もいるし、器量良く生まれてくる人もいればそういうのとは無縁に生まれる人もいて、まだ私くらいの年代だと器量のよしあしを話題にしたりもするので卑近な例になりますが、半端なく貧しい家に器量よしで生まれてくれば置屋に売り飛ばされたり、富豪に生まれても器量が悪ければ少年少女時代にはいろいろ悩むことだとおもいます。
 
私は途上国を旅してみて、自分がたんに日本という国に生まれたというだけで、何の能力も才能もないのに、VIP待遇をしてもらい、多大なお金を払うことができるというのを悩みました。むしろ日本に生まれなかったほうが幸せだったんじゃないかとも思いましたけど、結局、生まれる家とか民族、場所は選べないので、それに関して卑屈になるのはもうやめてます。
 
民族なんて選べない、変えることもできないものを、あげつらって非難するようなのは、人間として最低の部類だと思います。
 
お前は女だ、とか
お前はブスだ、とか
お前はバカだ、とか
お前は朝鮮人だ、とか
お前は同性愛だ、とか
お前は貧乏人だ、とか
もっとたくさん。
 
そういう恨みの言葉は、言われた人の中に少しずつ、少しずつ蓄積されてゆき、そういうことを言われた人は大きな恨みを心の中に秘めていることでしょう。そういう積年の恨みがあるとき、噴出することがあります。
 
私自身、自分の中の恨みを対処するのに長い時間をかけてしまって、おかげで何のキャリアも年収もなくいままで来てしまったと思います。でも、20歳くらいのときにそういう、自分の中の恨みがいつか自分を滅ぼすような気がして、それからは自分の恨みをいかに解消するか、に労力を費やすことにしました。
 
今、居心地が悪いのなら、居心地がいい場所が見つかるまで、のたれ死んでもいいから旅しよう、と思ったのは18歳のころです。
 
もしも居心地が悪いなら、自分がありのままで認めてもらえる場所に出会うまで、いつまでも旅したらいいと思うし、それは日本人にとっては比較的、楽なことだと思います。(日本の給与は高い・日本のパスポートは強い)。いつかそういう場所が見つからなくて、疲れ果てたら死んだらいいのだし、疲れ果てるまでは旅、続けてもいいと思います。
 
世界には、自分の居場所を見つけたくても、資金的、政治的に国外に出ることが難しい人もたくさんいますよね。かごの鳥のように動くこともできずに、与えられたかごの中で生きています。私はそういう人にかける言葉はまだ見つかりません。グッドラックとしか言えないです。
 
そんな人たちの前で、自分の積年の恨みがどうたら、こうたら、って言わないです。そうして私の心のおもりはだんだん軽くなっていきます。なんか、不自由な人を踏み台にしてるみたいで、おおいに後ろめたさはあれど。

ラオスからタイに来て

ラオスからタイに来ただけで、人の栄養状態がこんなに違うのか!とびっくりした。

東北タイ人もヴィエンチアンのラオス人も、民族としてはあまり違いがないものと思うけど、ヴィエンチアンでは枯れ枝みたいに痩せた人とか、皮膚病のある人、障害のある人をよく見たけれど、タイに入ったとたんに肉付きも肌つやもよくなるし、顔もファッションも、すべてがあか抜けて健康的になる。やっぱり経済状態とか食べ物の違いであれほど有意に違うもの?

もう一つ、タイに入ったとたんに食べ物があんしんして食べられるようになった。メニューはたいして変わりないのに。

前回のラオスではA肝炎になったので、今回はストリートフードに気をつけたのはいえ、やっぱり二度ほど下痢をしたし、屋台をひとめ見ただけで衛生状態がよくないのがわかる。それが、タイに入ったとたんに清潔になるし、路上の屋台ひとつとってもタイならあんしんして食べられる。これは幾分心理的なものがあるにせよ。


ラオスはもう少し発展して衛生面が良くなるといいな。4日の滞在で二回の腹下しは多すぎる。

ラオス出国は難しかった



ヴィエンチアンのバスターミナルからノンカイのバスターミナルへ15000キープの国際バスに乗りました。

バスは指定席です。女性の車掌さんが乗客管理するために指定の座席に座らせるようです。

ラオスの出国。

ふつうは、パスポートを出して、スタンプをもらえば出国完了ですが、ラオスはもう一手間必要で、それを知らなくて苦労しました。

出国税にあたる、One way passというカードを10000キープで買う必要があります。パスポートコントロールの前にカード販売ブースがあり、行列ができているので、そこで買ってからパスポートコントロールへ行きます。

私は買い忘れて、そのままパスポートコントロールへゆき、ふつうに出国スタンプをもらい、出国しようとすると、ゲートでカードを持ってないために怒られました。

あっちまで戻ってカードを買ってこい!と言われましたが、出国済みの気持ちでいたので、どうしたらいいかわからず。

結局ふつうに制限エリアを逆行して買いました。ゆるい。


ヴィエンチアン(ラオス)からノンカイ(タイ)へ

今日は、ヴィエンチアンからノンカイ(タイ)へ。

ヴィエンチアンのバスターミナルは、ツーリストセンターのナイトマーケットから歩ける場所にあります。

ショッピングセンターのタラートサオの裏手。

そこで、ノンカイ行きのバスが1日6本ほどでています。15000キープ。

ほかにも、ウドンターニー、コンケン、バンコク行きがでているようです。

ウドンターニー 八便/日 22000kip
コンケン 二便/日 55000kip
バンコク 一便/日 250000kip

ヴィエンチアンの宿で、タイ行きのバスを手配させると、ノンカイまでで500バーツ(125000キープ)などと法外な値段なので、避けましょう。

追記

ラオス出国に際して出国税にあたるカードを買う必要があります。10000キープをかならず残しておいてください。

聖地へ(2)



走り出せばやっぱり、どんなにがんばっても50kmが限界、という走りのボロバスは、あえぎあえぎ東北タイをゆく。

ひとつめの街について、他のバスと待ち合わせをするために40分も停車して、ただでさえ遅いのに要らない時間のロスをしてるのに、乗客はただむっつりと時間のすぎるのを待っていて、じりじりと焼け付く夕日が恨めしい。

そこで乗ってきたおじいさんは少し精神のバランスが崩れているようで、ずっと叫びながら車内を歩き回っていて、私は腕をつかまれてどこかへつれていかれそうになった。走るバスから私をどこへ連れて行くのか。

乗客は慣れっこになっているのか、またやってるよあのじいさん、という風情で見ている。

見かねて激怒した女性の車掌さんが、どっかからでっかいナタを持ってきて、「爺さん、これが見えるかい?ぶっころされたくなかったら静かにしな!」と一喝する。

発展したバンコクみたいな街の若者が、こんな何十年も前から続く東北タイのおもしろい風景を理解することができるのかしらん。

とにかく、もうおなかがいっぱいだ。

途中、豪雨が降って、バスのどの窓も閉まらないのでしょうがなくみんなバスの中央付近に身を寄せ合う。

聖地へ(1)



自分の人生の聖地みたいな場所にきました。

もう無いいえが本当に無いことを確認しに、いない人がいないことを確認しに来たんだっけ、などと思いながら、昔は無かったセブン-イレブンやATMに驚き、バンコク行きの直行豪華バスに驚き、つつも昔から変わらない家やそこであった出来事を思い出したり。

バスターミナルから胸がいっぱいでバスの写真など撮るのをすっかり忘れていました。

まったく変わらないバス駅。20年も経っているから、きっとあのボロバスもエアコン付き高速バスに変わったに違いないと、期待に胸をふくらませて、見渡すと、20年前と全く変わらない緑のおんぼろバスが泊まっていて、あれじゃなければいいなと、近寄ってみたらやっぱり私のバスだった。あのときの気持ちをなんと表現したらいいのやら。微苦笑。

歯の抜けたおじさんのドライバーが片手にプラスティックの麺のどんぶりをもって、「どこいくの?」と聞くので答えると、「おれのバスだよ、三時発だよ」と満面の笑みで教えてくれた。

バスに乗り込めば変わらぬ破れた座席のシートと、扇風機、そして大音量の東北タイ演歌。

バンコクみたいな都会はいろんなお金が入って20年ですっかり脱皮したようだけどやっぱり農村などは20年くらいでは何もかわらないくらいお金が無いのね、と思った。

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自己紹介

自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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