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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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ていでんだ~

今日は、朝起きたら家が停電していた。

朝日が入るのではじめ停電しているのに気付かなかったけれど、風呂場のスイッチを入れたら明かりが点かなくて、配電盤を見るといつものデジタル表示が消えていた。ドアを開けて廊下を見てみたら真っ暗闇だった。

それでもガスと給湯が生きているので、朝日で朝の支度をして、エレベーターに乗ろうとしたのだけれど、当然エレベーターは動かないので、階段で。

階段はビルの中心部に位置していて、外の光が入らないので真っ暗だ。かすかに吹きぬけを通じて上のほうから光が入ってくるので、殆ど手探りで8階から下に降りた。

ウズベク人は慣れた様子で、携帯の画面の明かりで足元を照らしながらさっさと降りて行った。携帯って便利なんですね。

勤務先の大学では月2回ペースで停電があるけれど、このアパート(のあるエリア)でははじめての停電だった。前回電気が止まったのは大家さんが金を払い忘れていたせいで、うちだけ給電されていなかったので、正確には停電ではなかった。

階段が相当おっかなかったので、やっぱり懐中電灯を玄関に常備しておこうと思う。

---

停電とは違うけれど、最近ウズベキスタンのインターネット事情が悪く、インターネットを殆ど使えないことが多い。はじめは、職場のプロキシサーバの性能とか、携帯電話会社のキャパシティの問題だと思っていたが、どの手段でも駄目なのと、時間帯による事象なので、おそらく、ISPを繋いでいるバックボーンとか、国外に回線を繋いでいるIXの容量の問題なのだろう。(それとは別に個々のISPにも問題があるんだけど)

先日、参加したネット関連のカンファレンスで、ウズベキスタンのインターネット利用はここ数年で急激に伸びているというグラフが出ていた。グラフによると毎年1.x倍の伸び率で、すごいんだなーと思ったけれど、トラフィック増加に応じて設備は拡充しないと、当然サービスを受けられなくなる。

特に、夜9時以降になると殆ど通信できなくなるのは、この国の人が、映画や巨大ファイルのダウンロードを主に夜行っているせいと考えている。映画ファイルを一晩ダウンロードしっぱなししている話や、職場から帰る際にダウンロードを開始して、翌朝終わってる、という話をよく聞く。

インターネットでグローバル化という話を先進国ではよく聞くけれど、夜になるとHTMLのサイトひとつ開けない、Youtubeなんてとても見られない、っていう環境では、インターネットラーニングもFacebookで商談も、教科書のタブレットデバイス化もただの絵空事だ。

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ウズベク語を話そうぜ!っていう若者たち

ウズベク語を話そうぜ!っていう若者たち

2012年のタシケントでは、若い男性に多いのだけれど、「ウズベキスタンだから、ウズベク語で話そうぜ」って言う人が結構いる。こっちに来てから、4~5回はそういう趣旨のことを言われたことがある。申し合わせたように同じような世代の同じような若者が、同じようなことを言うから、まるで合言葉みたいだ。

10年前のウズベキスタン

10年前、まだソ連の影響が強かったウズベキスタンでは、「外国人にはロシア語で話すもの」という共通認識があったと思う。ロシア系住民は多かったし、ロシア語は世界共通語という認識は、30代以上の人を中心に今でも少し残っている。こちらがウズベク語で話しても、ロシア語でしか話してくれない人は上の世代には多い。

でも、今の若い世代は違う。特にロシア語が苦手な若者を中心に、外国人にロシア語を話す必要も無いし、相手がウズベク語話者なら、ウズベク語で話してもいい、と思っている節がある。

外国人がウズベク語を話すだけで喜んでくれる若者

職場の22歳S君は、英語の勉強のために私には英語で話しかけてくるけれど、時々思い出したように、ウズベク語で話しかけてくれる。そういうときの彼は満面の笑みで、誇らしげだ。それに、たいていの街中の若者は、私が片言のウズベク語を話すだけで喜んでくれる。その子らの顔を見ていたら、自分の母語で外国人と話せるっていうことは、誇らしいことなんだろうな、と思えてきた。

母語の復権

独立前後に生まれている今の若者世代は、外国人にはロシア語を話しなさいという、ロシア化政策の影響を受けていない。「外国人にウズベク語で話してもいい」と思っている最初の世代なんじゃないか。それは、数十年ぶりの母語の復権とも言うべき晴れやかなことで、彼らの民族的なプライドも満たされるのだと思う。その表れが「ウズベク語で話そうぜ」っていう発言だったり、ロシア語離れみたいに見えている要因なのかなー。

ロシア系住民の立場

こうなると、ロシア語を母語とするロシア系住民の肩身が狭くなってくる。今でも、中年以上のロシア人はウズベク語で話したりはしないし、あくまでロシア語で通そうとするけれど、30代以下の世代で、タクシードライバーや商店をやっている人たちは、より柔軟になってきていて、こちらがウズベク語で話せばウズベク語で答えてくれるし、ウズベク語が得意なロシア人だってけっこういる。彼らも、ウズベク化しつつあるウズベキスタンで、ウズベク側にちゃんと歩み寄っている印象を、私は持ってる。

若者のロシア語離れ、と言われていることについて、これまでも色々なことを書いてきたけれど、私はあまり賢くないので、どれが正しいとも、間違いとも思えない。これからもこの件について考えたり書いたりしてゆくつもり。

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ランチに行く店を紹介します。

お昼は、たいていチーフの車で同僚たちと一緒に出かけて外食することが多い。いろんな店に連れて行ってもらうので、ちょっとずつ紹介してみたい。

タシケントの多くのレストランは、名前が付いていないみたいで、インターネットのホームページも無いし、Google mapにも載っていない店が殆どだ。だから、人に場所を伝えたり記録するのに苦労する。何が一番便利なんだっけ、と思ったけれど、やっぱりGoogle地図だと思うので、地図リンクで見るランチ先リンク集です。店の名前はテキトーにつけてます。

ちなみに、タシケントのお店等は頻繁に場所を移動したり突然無くなったりするので、この情報が10年後にも使えると思いません。あくまで、2012年12月時点の情報で、1~2年間有効と思ってください。

1. 庭付きレストラン

※地図上で見つけられなかったため場所は正確でない。この場所の左右どちらか、と思ってください。

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場所 サムピーの交差点から北西方面へ。歩いても行ける距離。車がたくさん停まっていて、木が植えてあって庭とテーブルが見えるので、通りから見ればわかると思う。
特徴 ここは、店の敷地に入ると水が流れる庭園になっていて、夏場は屋外で食べられて風流。
料理 オシュ、ラグモン、シャシリク、タンドゥールシュルバなど。にんにくのよく効いたコブルラグモン(炒めラグモン)とタンドゥールシュルバがうまい。オシュは微妙、あまり好みではない。

2. (Mirzo Ulugbekの) ブハラカフェ


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場所 ミルゾウルグベックの通り沿い。オシュの看板が大きく出ていて目立つ。
特徴 店内でも庭でも食べられる。
料理 シャシリク、オシュ、ラグモンあり。決定的にうまいもの、っていうのは無いので、いつもオシュしか食べない。

3. MAG Bistro


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場所 ブユク・イパック・ユリのメトロ、交差点傍。半地下になってる。
特徴 セルフサービススタイルの店。パン、ドリンク、サラダ、ケーキは、自分で選んでトレイに乗せる。スープは常に2種類くらいあるので、店員さんに頼む。主菜は、日本の総菜屋みたいに、いろんなおかずがバットに入って並んでいるスタイル。指差しでお皿に盛ってもらって、主食をつけてお会計。主食は米、ポテトフライ、ポテトピューレ、グレチカ(蕎麦の実)が選べる。持ち帰りもOK。色々選べるからお茶だけでもがっつりでもいけるし、店も広いので、ランチタイムは常に混雑している。
料理 魚のフライとかローストチキン、ステーキなどの洋食中心だけど、時々ラグモンもあり。最近、焼きたてベーグルも始めたみたい。私は鶏肉の炒めものにライスをつけて食べることが多い。

4. Zig`ir Osh


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場所 交通の便が悪いのが難点。ヴォクザルからだとトラムバイが前まで行くので、トラムバイがよさそう。
特徴 Qushibegi Kochasiには三軒同じような店が並んでおり、真ん中の店でよく食べる。この店なぜか女性のお客さんは殆ど居ない。むせ返るほど男だらけ。
料理 亜麻仁油で炊いたサマルカンドスタイルのオシュ。オシュ以外のメニューは無いとおもう。タシケントで食べたオシュの中では一番おいしいし、安い。馬肉ソーセージと卵の全部載せは「コンプレックス」と注文します。サラダはお盆で持ってきてくれるので好きなのを選ぶ。大根の輪切りもあり。

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追憶の母国

ロシアのナショナリスト(いわゆるスキンヘッド軍団)を題材にした二時間ドラマを見てしまって、非常に胸糞悪い気分になってしまった。

で、見ながらぼんやりとこんな未来を想像した。

ーーここからーー

20xx年の中国。

日本人の出稼ぎ労働者の太朗は、中華ナショナリストのスキンヘッド軍団にリンチされて、薄れ行く記憶の中で子供の頃、まだ日本が先進国だった頃を思い出していた・・・。

日本は昔、先進国だった。ソニー、トヨタ、トーキョー・・たくさんの中国人が日本に働きにきていた。しかし、今は違う。日本は凋落した。中国はエネルギー政策と圧倒的な人口で米国を抜き世界の先進国になった。いまや、日本人は日本で稼いでも家族を養うことはできない。多くの日本の男が中国に出稼ぎに来るようになった。

同時に、中国国内では若者を中心に移民を排除する動きが出てきた。頭のおかしい日本人、汚い日本人、過去の栄光にすがってプライドの高い日本人。そして、具体的な排除がはじまった。

スキンヘッドに革ジャンを着た若者は、日本人労働者を見かけてはリンチを繰り返した。とくに8・15、日本の終戦記念日には、何人もの日本人が上海でなぶり殺された。女性は卑猥な言葉を浴びせかけられ、レイプされるものもあった。

何人かの日本人は、中国名を名乗り、完璧な中国語を話して中国人になりきろうとした。しかし、ちょっとしたアクセントの違いで日本人バレした日本人は、翌朝には運河に浮かんだ。

太朗は、薄れ行く意識の中で、天皇を思い出した。あの優しい笑顔、すべての日本人が心に温かみを覚える白い手袋。

天皇を女性にするか、男性にするかで揉めてから、紆余曲折のうえに天皇制は廃止された。あの暖かい笑顔はもう、今の日本には無い。

痛い、ナイフで刺された腹が痛い。今、ここに天皇がいてくれたら、あの笑顔を見せてくれたらいいのに。あの白い手袋で救ってくれればいいのに。

で、太朗は死んだ。

ーーここまでーー

ねぇ。

私は基本的に中国人を愛してるし、何度も中国に行ったけれど、未来はわからない。私の好きな中国人たちがみんな老人になるころにどんな未来が来ているかはわからないわけだし。近い将来本当にこういう日が来ないとはいえないよ。

なにより、こういうことは今実際にモスクワで発生している。今もウズベキスタンなどの中央アジアからの出稼ぎ労働者がそういう軍団に殺されたり刺されたりしているのだ。

日本と周辺国が、こういう未来を迎えないために、私達はなにをしたらいいのだろうね。

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チャーハンにはアレ

ご飯をよく炊くようになって、残りご飯が冷たいので、なんとかしないとならなくなって。

手元には玉ねぎと卵があるので、これはチャーハンだろうと思って作るようになりました。ウズベクの厚みのある鉄フライパンと、ひまわり油で、弱い(もともと弱い)ガスで炒めると、妙に上手にできて、塩もおいしいので、塩だけで味付けたり、たまにコンソメの粉で味付けたりしていた。

でも、なんか足りないなーと思っていた。チャーハンといえば、アレだよね。アレ。



これ。

味の素。チャーハンの味はけっこう味の素しだいだと思ってる。

このウズベクの味の素は、パッケージに漢字が書いてあったりして妙なんですが、粒粒が大きいです。粒が日本の味の素の二倍くらいある。ちょっと舐めてみたら冷奴が食べたくなった。

で、ぱらっと振ってみたら、そうそう、この味!やっぱりチャーハンは味の素。おいしかった。おいしかったけど、あまり噛まないで急いで食べたらすぐ胸焼けした。胃の腑もカレーするんだよね。加齢。



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オリガ先生の弁当

最近、パン食が多いので乳製品をよく買うようになった。バター、チーズ、マヨなど。ウズベキスタンのこういうものは、だいたい輸入品なので金額は安くない。チーズは日本と同じ値段。

スーパーでマヨ、マヨ・・マヨを探しながらマヨのことを考えていた。ロシア語学習者には、マヨはマヨネーズというより所有格。英語のMYにあたる語はロシア語にはモイ マヤ マヨ マイの4つある。

JICA駒ヶ根(KTC)のロシア語の先生が、ある日、電子レンジで暖めていたご自分の弁当のことをЭто моё.エタ・マヨ(これ、私の)と言っていた。

このときに、ああ、弁当ってБэнтоとоで終わるから中性名詞なんだな、すごくロシア語らしい!と思った。

本当は外来語は不変化名詞で中性として扱う、みたいなことらしいのですが、(たとえばТаксиも中性名詞)。

言語を勉強しているときに、机の上で必死に覚えようとした単語よりも、こういうエクスペリアンスを伴う記憶は全然忘れないものだなって思い出しました。

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俺はウズベクだ、っていう挨拶

日曜日の朝。ゆっくり寝ていたかったのだけれど、激しくドアを叩かれて起こされた。スコープから覗くと三人のウズベク人の男が。

安全対策上、アポなしに訪問する人がいても開けてはいけないことになっているので、本当に開けたくなかったのだけれど、過去にも必要な用事でポリスが来たり、階下のおばさんが来たり、TVの集金が来たり・・・しているので、最大限注意してちょっとだけドアを開けた。すると何かドキュメントを見せられて、幸い、押し込み強盗ではなかったらしい。

話を聞くと、私の居住しているミラバッド地区の民生委員みたいな人で、身分証を持っていた。私の居住証の確認に来たみたいだった。

もう、ウズベキスタンでは慣れっこになってるけど、身分証を見せてパスポートを見せて、アパートの契約証を見せて、その上、アパートの家賃を幾ら誰に払ってるという旨の念書みたいなものを英語で書かされて、一通り30分くらい。

帰り際に、「ウズベキスタンに住むならウズベク語をよく勉強しろよな!」って超笑顔で言い放って、握手して帰ってゆきました。勉強しろよな、って何様?ってくらい上から目線なんだけど、まーここでは、過剰なくらい親密なことはよくある。

昨晩は、タバコを買った店の少年(高校生くらい?)に「君はなにじんだ?僕はウズベクだ。よろしくな!」って握手を求められた。これも、過剰なくらい親密。

「俺はウズベクだ、よろしくな」っていうのも、5ヶ月滞在して4回くらい言われたことがある。ウズベクっていうのは言われなくても見ればわかるんだけど、昔からいろんな民族が混ざって共存している土地では特に珍しくもない挨拶の定型なのかも知れない。

日本でコンビニの店員が外人の客に「俺は日本人だ、よろしくな」ってあまり言わないと思うので(人によっては言うかもしれないけどさ)、親密なだけじゃなくて民族に誇りを持ってるんだな、と思う。

それにしても、アポなしで訪問する人には困る。今回は大丈夫だったけど、押し込み強盗だったら洒落にならないし、ロシアだったら絶対開けない。開けたくない。今度アポなしで誰かに訪問されたら、「大家に電話せよ」っていう紙を用意しておいてドアのしたの隙間から見せようか、とか思う。

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自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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