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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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からの~、メフモン

木曜日のハスティイモム参拝から、レストランへ、その後もう日が暮れたので帰宅、と思いきや、そのままアブロル君のご自宅へ連れて行かれてしまった。

連れて行かれたといっても、別に手錠+猿轡されて拉致されたわけじゃなくて、そのまま車に乗せられて彼の家へ到着したというだけの話だ。私としては、日も暮れているし、家で用事もあるし、今日は寄らないで次の機会に、とやんわりお断りをしていたのだけれど、「5分だけでいいからさ、ちょっと両親とあってさ」「お茶だけ飲んだら家まで送るからさ」とか言われて、週末の終電近い新宿でナンパされてる女子の気分。ウズベキスタンでは、5分だけとかお茶だけというのは額面どおり受け取ってはいけない。

先日のサマルカンド観光で、ふらっとバスに乗ってきて知り合ったアブロル君は、ただの英語が得意な青年だと思っていたのだけれど、実はいっぱしの青年実業家で、アパレルショップを二店も経営しているショップオーナーなのだった。自慢げに自分のジーンズショップを見せてくれて、それから自宅に連れて行ってくれた。


アブロル君の店

彼の家は、大柄で寡黙なおとうさんと、年齢を感じさせない美人のおかあさん、22歳のアブロル君と、20歳くらいの弟、そして3歳の末の弟。おかあさん以外は全員男性の家庭だ。末っ子は、おかあさんが40歳のときの子だと、おとうさんに自慢されてしまった。おとうさん、頑張るなぁ。ウズベキスタンには、このくらいの歳の差のある兄弟は多い。結婚して一子、二子を設けて、それから母親が仕事に復帰して、一通り働いて引退してから、もう一度子作り、というパターンなんだろうと思うけれど、叔父さんと甥/姪の年齢差が5歳くらいとか、ひょっとしたら同じ歳とかにもなりそうだ。

ウズベク人は、家族と家庭をとても大切にすると思っていたけれど、親類縁者のコネクションがモノを言う社会では、幅広い年代層に家族/親類がいるっていうのは、戦略的にも良いことなのかもしれない。

5分だけの訪問だったはずが、15分になり、結局、ご飯を作っているから食べないで帰るのは失礼ですよ、などとすまし顔で言われ、おいしいオシュとチキンをいただき、記念撮影をした頃にはもう10時半を過ぎていた。さすがに夜遅いので失礼しますと言って、帰宅。

帰り際にお母さんが、「うちは女がいないので、すぐに作れるようなものしか出せなくてごめんなさいね」と仰られた。日本人以外にもそんな風に言う人たちがいるとは、ウズベク人って奥が深いと思う。

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Ucellの値上げと使い放題インターネット

ウズベキスタンのインターネット接続料金はこれからどんどん安くなる、と、日本人/ウズベク人問わず色々な人が言っていたのですっかり騙されていたが、急に値上げされた。え、えーー!と独り言を言ってしまったくらいだ。だって、品質が高くて値上げされたのならまだ理解できるけれど、こんな度々接続もできなくなる酷い品質でしれっと値上げされても、反応に困るってものだ。

インターネット接続にUcellという携帯会社のUSBモデムを使っている。インターネット接続をするには、10ドルで2000メガバイトの通信料を買う必要があったのだけれど、いつものように10ドル入金して手続きをすると、残データ量が1500メガバイトしか入らなくて、何かの間違いかと思ってUcellのサイトを確認したら、なんと、通知もなくシステムが変更されて、10ドルで買えるデータ量が1500メガバイトになっていた。

申込み方法(USSDコードといって、指定の番号をダイアルするようになっている)と値段が変わらないまま、買えるデータ量だけは3/4になってしまったので、私のように間違えている人はたくさんいるだろう。

まるで、値段はそのままで内容量だけがひっそり100gから80gに変わってる板チョコレートの売り方みたいな値上げじゃないのかい!

日本の携帯会社では、都度申込みのサービスだとしても、そのままサービス内容を劣化させるようなことはなくて、新しいサービスを作って暫く併用させて、殆どのユーザを新しいサービスに誘導しきった後でひっそりとサービス終了させるというプロセスを踏むと思う。その場合にも、そういうことをする3ヶ月前から散々変更内容を加入者に通知して了解させる、というプロセスを踏むはず。で、この国では通知も殆どなく突然そういう変更が行われ、しかも内容がグレードダウンだったりするので、私などはとても驚く。

そういうわけで、うらめしい気持ちでこのサイトを眺めていたら、新しいサービスが開始しているのがわかった。
http://www.ucell.uz/en/subscribers/internet/inet_services/unlimited_internet

Unlimited Internet つまり、使い放題ってことだ。とうとう、ウズベキスタンの携帯インターネットにも定額制導入?!と思ったものの、内容は、16ドルで2500メガまでの使い放題、2500メガを超えた部分に関しては64kbpsで通信させる、というなんとも微妙な条件付き使い放題だった。なるほどこっちの価格設定に合わせて既存サービスを値上げしたってことか。

ウズベキスタンに来て以来、10ドルで2000メガのプランしか使っていなかった私がどこに乗り換えたらいいのか、悩むけれど、現状月々3000メガバイトくらい使っているので、10ドル1500メガを2個買うよりは、16ドルで2500メガを毎月買って、月末頃には通信速度が遅くなる、っていう使い方にならざるを得ないだろう。

Ucellよ、これでいくらか増収になるのであろうか。増収できた暁には、夜8時を過ぎると度々使えなくなるRadiusとDNSサーバーを増強し、せめて遅くてもいいから通信できるようにしてくれたまへ。


UcellのCM (もーーぃてれふぉーーん!)

「お消しなさい」ウズベチカの恥じらい

ハスティイモムを参拝した後には、みんなでレストランへ。


鶏のシャシリク

同行していたウズベク女性の写真を何枚か撮ったので、彼女のパソコンへコピーしてあげた。すると、自分の映った写真を念入りにチェックしながら、「これは駄目」「これは駄目」と言って、私のほうを見るので、どうしたらいいのか困っていると、

「駄目な写真はあなたのメモリーカードから消してくださいな」

といわれた。私としては、自分で撮影した写真で他の人も写っているものがあるので消すのは本位ではなかったけれど、写っている本人が駄目というならしょうがないかというのと、カメラごと渡すと間違って全部消されてしまうリスクがあると思ったので、一枚一枚、彼女が気に入らない写真を本人の目の前で消去することになった。

私としては、露出もピントも完璧で、いい写真だと思っている写真でも、彼女としては表情が駄目とか、服装が乱れているから駄目と言っては、私に消すように促す。不本意な表情や衣装で撮影された写真は、この世から抹消してしまいたい!という強い意志が感じられた。多分乙女の恥じらいのうちなんだろう。特にイスラム圏では、もともと髪や顔を隠したり、女性は家から出なかったりという文化があるので、女性の肖像の取り扱いには注意せざるを得ないだろう。

私は、人物の写りこんだ写真が好きで、風景写真でも人物が写りこんだものを選んだりする場合がある。それに、人物が大写しになっている写真でも、よく写っているものならば、本当はブログで公開したりしたいのだけれど、先進国ではプライバシー保護とか、被写体になっている人物の同意が必要とか、いわれるようになっていて、ちょっと面倒くさいと思うことがある。そんなことをいったら、ちゃんと連絡先がわかっていて連絡して同意を得た写真しか自分のブログで使うことができないとか、撮影のさいにあらかじめ同意を得て撮影するとか、する必要があるんだけれど、そういうことをしている人にあまり会ったことがない。

たとえば子供たちが寄ってきて写真とってーー、とせがまれて撮った一枚がとてもいい写真だったのなら、その場で子供たち全員にブログに載せてもいい?と聞くのか、その場合、こういうノッパラと道路でしか遊んだことが無い子供らがブログとかインターネットを理解しているのか、もし同意が取れていなければ子供たち全員を追跡して全員にお手紙でも出して同意を得るべきなのか、そんなことを考え始めると面倒くさくてつい出来の悪い風景写真を載せたりしている。


適当な風景写真

ハスティイモム参拝

戦勝記念日の9日、誘われてハスティイモム(または、ハズラットイマム)へ行ってきた。



ハスティイモムはタシケントのイスラム教関連施設の中でも重要な場所だそうだ。タシケントの初めてのイスラム指導者、Abubakr Muhammad Kaffal ash-Shashの霊廟を中心に、モスク、メドレセ、イスラム大学などが広場を中心に建立されている。

いい天気に恵まれて、日向にいるとちょっとクラクラするくらいの天気だった。



実はタシケントで観光らしい観光をいままでしたことが無くて、9ヶ月目にしてはじめてのタシケント観光。感想は、すっごく良かった! 雰囲気的にはレギストン広場のミニ版みたいな感じだけれど、怒鳴りつける警官もスリもいないし、高額なチケットを売りつけられないし、観光客は少なくて静粛で、子供がのどかに凧揚げをしていたりする。個人的には、アトモスフィアはレギストン広場よりもずっと好きだ。見るもの見たらすぐに立ち去りたいレギストン広場と違って、一日中ぼんやり座っていてもいいくらいだ。行ったのは昼だったけれど、照明装置もあったので、夜はまたライトアップされて違った感じなのだろうと思う。タシケントには観光する場所が無いといってスルーしてしまう旅行者が多いというけれど、こんなにいい場所があんまり知られていないのは意外だ。


凧あげる子供たち

今回の同行者は、先日のサマルカンド旅行で出会った青年。でも、その知り合いとか、その知り合いの知り合いがだんだん増えてくる不思議。中で一人の青年は、グンマという臓物の入った揚げパンを4つもたいらげながら、日本のアニメ愛を熱く語ってくれた。美しいイスラム建築の中で、ひたむきな瞳をした揚げパン片手の青年にバキとか、ナルトとか、私にはわからない最近のアニメ愛を語られていて、なんていうのシュール?


アニメ愛を語る人

指導者の霊廟では、同行した若者たちがきちんと座ってお祈りをする姿を見ることができて、印象的だった。普段はあまりイスラム教徒という感じが無いし、あまり戒律的には見えないタシケントの若者たちなのだけれど、もちろん人によるのだろうけれど、敬虔な回教徒もたくさんいるのだな、とわかった。



日本語 ハスティイモム/ハズラットイマム
ウズベク語 Hasti Imom / Hazrati Imom masjidi
英語 Hasti Imom / Hazrati Imam mosque

場所

大きな地図で見る


夕暮れ

対独戦勝記念日

火曜日にノリで強いウォッカを呷ってしまい、昨日は青い顔をして出社した。何を読んでも書いても、眠りたい。なんとか定時まで仕事して帰宅してベッドに直行して、今日は10時まで死人みたいに眠っていた。今日(5月9日)はウズベキスタンの戦勝記念日だから学校は休み。

第二次大戦の戦勝記念日なら8月じゃないのぉ?と思うほど歴史に疎い私なので、そういうときは読む。Wikipediaを。

1945年5月8日、ベルリンでドイツが第二次世界大戦の降伏文書に調印したことを記念してヨーロッパ諸国では5月8日が戦勝記念日であるが、モスクワ夏時間では5月9日未明のことであったため、ソ連を構成していた諸国やソ連の影響下にあった東欧の一部の国などでは5月9日が記念日になっている。

ヨーロッパのほうの対独戦勝記念日は5月8日だけれど、時差の関係でモスクワ時間だと5月9日だったために、旧ソ連圏では9日を戦勝記念日としたそうだ。いずれも、ベルリンの地下壕でヒトラーがピストル自殺した8日後に、ドイツが降伏文書に署名したことを記念する日だそうだ。

タシケントの中心、独立広場近くには、戦没者を記念する慰霊広場がある。何枚もの大きな銅版には、大戦でのウズベキスタン出身戦死者の氏名と、生日付、没日付が刻まれている。多くの人が20歳前後の若い頃に命を落としているのを見ていると、実直で、なにより家族が大好きで、結婚が人生一度の大舞台と考えているこの国の人たちが、異国で20歳そこそこで死んでゆくのはさぞ無念だったんだろうと悲しくなる。




ドイツが降伏した5月から玉音放送までの間、日本では一億玉砕といって、悲惨な沖縄戦のすえに広島、長崎の原爆にいたるまで、やはり若い命が失われていったのだろうと思うと、また切ない。

ところで、ウズベキスタンでは、ドイツに特別に思い入れのある人に会うことが多い。どうして、日本でもフランスやイギリスでもなく、ドイツなのか、というと、ウズベキスタンの人のおじいさん、曾おじいさんの世代はソ連兵としてドイツと戦って、敵国ながら色々とあっぱれなうわさを聞いているからではないかと思った。今日話した青年は、ドイツの品質がいかに高いかを語る際に、「彼らは、下っ端の兵卒なのにとても品質のいい軍服を着ていたそうだ」と引き合いに出した。

実は私は、ウズベキスタンについて考えるときに、今現在のウズベキスタンの印象があまりにも強すぎて、あまり「旧ソ連」と考えたことがない。だから時々、旧ソ連だ、と思い出すにつき、はっとビックリしてしまうことがある。

思い出してもいつも手遅れ

お友達のお友達のタイのジェントルマンがタシケントに来たということでタイ料理を腹いっぱいいただいてきた。

20年ぶりにお会いするタイの男性、タイ語の響きはとても私の心をさざなみだててしまったようで、タイに行きたくてしょうがない。

イサーンの料理を食べながら、タイのお母さん(血はつながってません)のことを思い出し、ランタ島の友達を思い出し。一人思い出し大会でした。

そうそう、私がいつも左腕につけている金はノーンカイ県のシーチェンマイで、タイのお母さん(血はつながってません)に買ってもらったものだということを、言おうとおもっていて言わずじまいで帰ってきてしまった。相変わらず酒を飲めば大事なことを忘れてしまって、大事じゃないことばかり思い出すし、しょうがないわよねぇ(タイのおねえ風に)。

今はエアアジアみたいのがあって、バンコクへも1万5千円で行けるらしいので、お墓参りもしたいし、友達にも会わないといけないし。何より海の魚が食べたいよね。

ふぁっ筋クソババアと遭遇した話

酒屋のふぁっ金クソババアの話

お呼ばれの前に酒屋に立ち寄った。お呼ばれのためにウォッカを買いたかったからだ。

レジには私と同じ年頃の、女というには老けた、中年というには若い女がいた。

私は無言でウォッカをレジにもっていって、女の背後にあるタバコをもらおうとした。

「赤いポールモールひとつ」

すると女が、

「赤いポールモールにはふたつあるのよ!1800の奴か1300の奴かどっちなのよ!!」

私はとっさに1800をロシア語でいえなくて、口ごもったら、

女は後ろのタバコストックから、ご丁寧に1300のポールモールと、1800のポールモールを取り出して、カウンターに叩きつけて言った。

「これとこれの!どっち!なのよ!!」と。

私は最近ちょっといらいらしていたので、あらんかぎりのファッキン言葉で女を罵倒してやろうかと思った。

「ファッキン欲求不満であんたファッキン可哀想かもしれないけど、これからファッキン金を払おうという人間に向かってそのファッキン態度は無いんじゃないの?ふぁっきん、欲求不満の、くそばばあ」

でも。悲しいことに私はロシア語のファッキンヴォキャブラリーもないし、罵倒できないなら冷静になるしかないので

「どうぞ、その、お高いほうの、ポールモールを、わたくしに、いただきとう、ございます(だいちぇ、むにぇ、ぱ、じゃーるすた、えたっ、だらごい、しがれーっ)」と言った。なるべくゆっくりと。

怒れば怒るほど冷静になれるような気がする昨今。

そういう出来事のあとで優しいタイ語の響きをきいてなおさら私の怒りに火がついてしまってこういうエントリを書いたりしている、よっぱらいついでに。

私はあらんかぎりのファッキン言葉を習うためにモスクワに行ったほうがいいかもしれない。

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自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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