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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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笛が鳴ったら窓を開けてはならない

平日の朝、来客の予定があり時間があったので、よどんだ空気の入れ替えにと、大統領どおり側の窓を開けておりました。
 
そのまますっかり忘れて、しばらく家事をしていると、どこかで、誰かが呼ぶ声がします。おーぃ、という意味ですが、「オーッ、オーッ!」とかなり大きな声で。
 
うるさいなぁ、と思って声のするほうへ行ってみると、ぎょぎょっ!なんと警官が2人、うちの窓を見上げて呼んでいたのでした。
 
とっさに窓を閉めてから、たぶんうちの窓のことを言ってたんだろうとやっと気づきました。窓の外を見ると、警官がまだ見てる!(笑)
 
あとで大家に尋ねると、大統領通に面した窓は、「笛が鳴ったら閉めなければならないと決まっている」そうです。聞いてないよぉ。
 
「あれ、言わなかったっけ?」などと言われましたが。
 
その後の来客というのがさらに、国家安全保障の人だったらしく、大家と一緒にコリア系とウズベク人の男が三人やってきて、うちの間取りなどをメモしたり写真を撮ったりしてゆきました。ウズベキスタンはテロリズムを警戒しているので、不審な人物が潜伏しないように絶えまぬチェックを行っています。
 

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Dinnerとは何のこと?

Dinnerとは何のこと?
 
私自身はDinnerとは夕食のことだと、中学校で教わった気がするのですが、ウズベキスタンだと昼食のことを英語でDinnerという人が多く、12時頃に
 
「ディナーに行こうよ」とか、
「ディナーが終わった後に戻ってくる?」
 
などと言われることが多い。
 
はじめのうちはみんな間違えて教わっているんだろうと考えていたけれど、あまりに皆が昼食のことをディナーというので、もしかしたらロシア語圏では昼食=ディナーなのかも知れないと思い始めた。
 
オンラインの辞書でディナーを引いてみると、本来はディナーというのは一日の主要な食事のことだそう。たしかに、朝夕は軽めで、昼がメインの食事となるこのあたりの習慣だと、昼がディナーってことになりそう。
 
さらに、英語版Wikipediaも見てみたら、注意書きとして、英国の労働者階級においては、昼がディナーとなり、夕食はTeaなどと呼ぶのが普通だと書かれている。
 
間違って教わっているのは私のほうだった!あちゃー。

ウズベキスタンのロシア語離れ

ところで私は日本で、ウズベキスタンではロシア語離れが進んでいる、と話を聞いてきたので、人々がロシア語で話しかけてくることにストレスマックスだった頃に、「ロシア語離れなんか進んでないじゃん!」と怒っていたのを思い出します。その頃のブログのサブテーマもロシア語離れが進んでいるのか、っていう部分だったようにも記憶しています。
 
1年半住んでみて、実際にロシア語離れが進んでいるのか、と改めて考えてみると、私の思っていたようなものじゃなく、もっとシリアスな形でロシア語離れが進んでいるようです。
 
地方の人は、昔も今もロシア語なんかあまり得意じゃないそうで、私のウズベク語の先生もロシア語は話せない、と言っていました。(実際には少々話せましたけど)今の、地方から出てきた大学生たちは、本当に話せないみたいで、日本語学習者の生徒が、他のCISの国の日本語学習者と意思疎通をするのに、日本語を使うという例も聞きました。
 
タシケントの人の場合、Wikipediaによると6割がウズベク人で、その他4割が非ウズベク人(≒ロシア語話者)だそうです。実際には地方から出てきた学生が多いので、ウズベク語話者は6割以上になるでしょうが、逆にロシア語をメインで使うウズベク人も意外と多いので、6:4という数字に信憑性はあると思います。
タシケントの街だけ見ているとロシア語の利用者が減っているような感じは全然ありませんが、地方を含めるとロシア語を利用する機会はずっと減っているのだと思うし、ロシア語の教育水準の低下や、英語を重視する国の方針から言っても、根の深いロシア語離れは起きているのでしょう。
同僚のお子さんもウズベク人ながらロシア語学校で学ばせており、先日その同僚に話を聞いてみたところ、良いロシア語の先生が皆、独立を機に母国に帰ってしまったので、ロシア語の教育レベルが自分たちの頃と比べて低いことを嘆いていました。
また、去年あたりから国の方針で第二言語を英語にするということになったそうで、私の勤務する大学でも英語コースを新設したり、先生向けに英語のテストを実施したりしています。同僚は10年後にはウズベキスタンでロシア語は廃れるだろう、と言っていますが、たとえばタシケントで4割もロシア語話者がいるままロシア語の優先度を引き下げて英語の優先度を上げるということが可能なんだろうか、と心配になります。今後10年のこの国の変化をチェックしてゆきたいです。

街の言葉がわからない

新しく赴任してきた協力隊員と話す中で、彼らが、街の人の言葉が全然わからなーい、と言ってたのが印象的でした。
 
今の新隊員は、研修でウズベク語を習ってきています。でもタシケントの中心地の街中ではロシア語を聞く機会も多いし、我々のような顔をした人間はロシア語を話すものだ、と思っているウズベク人も多いので、私など生活していても9割以上はロシア語で話しかけられることになります。
 
この街には、スターリンの時代に移住させられてきた朝鮮系の人々の子孫が10万人くらい住んでいると聞きます。私の同僚にもキムさんがいて、彼のような世代で3代目くらいになるのでしょうか。その人たちは名前もロシア語の名前だし、ロシア語しか話せない人々なので、タシケントの人々が私を見てロシア語話者だと思うのも、当然なのでしょうね。
 
私がタシケントに来たとき、せっかく日本でウズベク語を習ってきたのに誰もウズベク語で話してくれなくて、極端な話、ウズベク語で聞いてもロシア語で返されるので、かなりストレスだったと記憶しています。なにかと、言葉を交わすたびに「ロシア語は知らないので、ウズベク語で言ってくださいね」とお願いするのが、だんだんストレスになってきて、ストレスマックスになった頃に「もう、今後はロシア語で行こう」と決心したのでした。
 
私の場合は職場のメイン言語もロシア語だし、近所の人々もロシア人だったし、生徒はむしろ英語で話してくれるし、ウズベク人はみなロシア語で話してくれるし、ウズベク語の必要性がぜんぜんなかったです。
 
ただ、ウズベク語を自力で学ぶのは教材の乏しさから難しいものだし、バザール等でウズベク語がわかる(聞いて理解できる)のはやっぱり便利なので日本で研修を受けたことは良かったと思ってます。

ちり紙は異文化摩擦の最たるもの

今日のタシケントは雨・・・
雨だよ、1月のタシケントはもっとガンガンに雪が降るはずなのに。やっぱり今年は暖冬なのか。それとも昨冬が寒かったのか。
昨日ちり紙について書いたとき、怒っていたせいか文章がつれづれでわかりにくかった。
私にとってちり紙は
必ず買って常備しておくべきもの
絶対に無くてはならないもの
他人に(袋ごと)あげたくないもの
分け合うようなものじゃないもの
彼らにとってちり紙は
買ってまで常備しなくてよいもの
別に無くてもいいもの
他人から袋ごと貰っても問題にならないもの
他人と分け合って使うもの
ちり紙の位置づけが彼らと私でこんなに違うのだから、ちり紙をめぐる因縁は深いものがある。ここまで異文化を感じるものがちり紙以上にあるだろうか!(大げさ?)
だから気軽に「ちり紙頂戴」と言われると私がここまで動揺するんだってこと、伝わるかなあ。

ちり紙くらいでケチなのはよくわかってるんだけど。

おれの紙!
 
私は、鼻をかんだりお尻を拭くためにデスクにチリ紙を常備していますが、他の職員はそういうことをしていないようで、職場にチリ紙がある時はあるし、無いときは無いって感じです。
 
ただ、私がチリ紙を常備していることを、職場の何名かは知っているので、たびたび、ちょっとください、貸してください、って言われます。今日も、いつも悪いけど、貸してくれない?買って返すから。といわれました。
 
チリ紙くらい、貸さないのはいかにもケチだから貸すんだけど、買って返すといってもそんな約束は守られないのが常だし、お尻拭くための紙って私にとってもとても大事なものなので、本当はあげたくない。しかも殆ど使ってない状態のをそのまま持っていってしまって、全部使うの?と聞いたら多分ね・・とか言われた。
 
何に使うかというと、今日は祖国防衛の日とのことで、実際には男性を祝う日ということになっています。職場でも、女性が男性のためにケーキを買ってきたり、プレゼントを買ってくれたりします。それで、男性たちがケーキを食って、当然チリ紙で口を拭いたりするので、そのためのチリ紙を供出したんだけど、私は複雑な気分だった。女性たちは、ケーキも買ってプレゼントもあげるんだから、貰う側の人にチリ紙を供出させるくらい当然、って思うだろう。でも私の意見は、ケーキ買ってくるんだったらチリ紙くらい一緒に買ってこいよ、ってことだ。
 
この国ではなんでも分け合うので、一人で食べたり、個人的に占有するのは良くないこととされています。だから彼らにとっては日本人が持ってるチリ紙を貰ってみんなで分けるなんてそんなに抵抗ないんだろうけど、私は日本人だから、自分が買ってきた必要なチリ紙をみんなに供給する義理はないと思う。そんな道理なら、必要で買ってきた人が常に供給しないといけないってことじゃん!
 
この国の人は紙が無ければ指で拭いたりコピー用紙を使ったりできるからチリ紙なんか無くてもいいんだろうけど、私はそういうのが無理だからチリ紙を常備しているのに、それに目をつけられて供出を求められるのはやだ、不快。
 
---
 
私の職場では同僚とちょっと一杯とか、居酒屋に行くようなことが無いのでそのかわりに、職員の誕生日や祝日、年末にはケーキとコーラとときどき鳥の丸焼きを買ってきてお祝いをします。それが唯一の親睦の機会になっているのかな。
 
でも正直お酒も飲まないでハイテンションで、でっかい声で次々にアネクドートみたいな笑い話を披露するこの国の盛り上がり方、ちょっとうるさいし、内容全然わかんないし、ケーキ甘すぎるし、あまり楽しくない。チリ紙取られるし。返してくれないし。
 
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今度チリ紙が必要になったら逆に冷や汗流してもらいに行ってみようかな。「今必要なのに!」って。

よその家のブレーカーも落としていいの!?



電気が無い続きです。
 
一晩電気がなくて、髭を剃りたくても暗いし、不便だなーとか、冷蔵庫の食材が全部腐るなー、などと思いつつ出勤。
 
ちなみに、寒いときだとキッチンの温度がマイナスになるので、キッチンに置いておけば食材など無事なのですが、あいにくこの土日は春のように暖かく、残念。
 
勤務中に大家に連絡がついたので、事情を話すと、廊下の踊り場の配電盤はお隣含め3戸で共用していて、たくさんあるスイッチのうち  右の2つが我が家のスイッチだからそれを入れ直せば直るよ、と言われた。
 
ポイント
・配電盤は同じフロアの3戸で共用
・配電盤の右の2つのスイッチがうち用
・この国のブレーカーはスイッチをOFF→ONすることで復帰する
 
帰宅して言われたとおり右の二つの黄色いスイッチを入れなおしてみたけれど直らなかった。これブレーカーじゃないんじゃないの?困ったのでまた大家に電話。
 
「配電盤に黒いスイッチが4つ、黄色いスイッチが5つ、計9つあるけど、どれがうちので、どれがブレーカーだかわからないじゃん?」
 
「そうさ、だから全部OnOffしてみればいいんだ」
 
「全部?!だって間違ったの切ったら隣の家の電気が落ちるじゃん?!」
 
「それでいいんだ。ウズベク人はみんなそうしているんだ」
 
と、なぜか逆切れされた。
 
「嫌だなあ、やりたくないから、きみがうちに来てくれよ」
 
「とにかく全部のスイッチを入れなおしてみてくれ、それで駄目なら行くから」
 
ということで、ままよ、とスイッチを入れなおしに行った。触ってない黒いスイッチ4つ。それを右から順にパチ・パチ。幸い2つ目が当たりで、ぶーんと冷蔵庫の動く音がした、よかった。
 
日本のブレーカーはちゃんと各戸で分離しているので他人の家のブレーカーに触るってことはまず無いけど、3戸が配電盤を共有しているソ連アパートでは、他人の家の電気を切っちゃってもお互い様、っていうのが、なんとも異文化です。

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自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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