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街の言葉がわからない

新しく赴任してきた協力隊員と話す中で、彼らが、街の人の言葉が全然わからなーい、と言ってたのが印象的でした。
 
今の新隊員は、研修でウズベク語を習ってきています。でもタシケントの中心地の街中ではロシア語を聞く機会も多いし、我々のような顔をした人間はロシア語を話すものだ、と思っているウズベク人も多いので、私など生活していても9割以上はロシア語で話しかけられることになります。
 
この街には、スターリンの時代に移住させられてきた朝鮮系の人々の子孫が10万人くらい住んでいると聞きます。私の同僚にもキムさんがいて、彼のような世代で3代目くらいになるのでしょうか。その人たちは名前もロシア語の名前だし、ロシア語しか話せない人々なので、タシケントの人々が私を見てロシア語話者だと思うのも、当然なのでしょうね。
 
私がタシケントに来たとき、せっかく日本でウズベク語を習ってきたのに誰もウズベク語で話してくれなくて、極端な話、ウズベク語で聞いてもロシア語で返されるので、かなりストレスだったと記憶しています。なにかと、言葉を交わすたびに「ロシア語は知らないので、ウズベク語で言ってくださいね」とお願いするのが、だんだんストレスになってきて、ストレスマックスになった頃に「もう、今後はロシア語で行こう」と決心したのでした。
 
私の場合は職場のメイン言語もロシア語だし、近所の人々もロシア人だったし、生徒はむしろ英語で話してくれるし、ウズベク人はみなロシア語で話してくれるし、ウズベク語の必要性がぜんぜんなかったです。
 
ただ、ウズベク語を自力で学ぶのは教材の乏しさから難しいものだし、バザール等でウズベク語がわかる(聞いて理解できる)のはやっぱり便利なので日本で研修を受けたことは良かったと思ってます。

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自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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