マイケルははじめての黒人のスーパースターだったと思います。黒人としてのスーパースターになった後は、もっと高みを目指したと思います。ギタリストをフューチャーして黒人音楽にこだわらずロックしようとしたBlack or whiteとか。世界平和を歌おうとしたHeal the worldとかね。顔も白人(というか、イエスキリスト?)ぽくしようとしていたと思う。
同じ頃、Hip Hopが市民権を得てきました。マイケルが黒人音楽から離れてゆくとき、皮肉にも黒人音楽は黒人にも白人にも受け入れられるようになってきた。
そこに上手に乗ったのが妹のジャネットで、80年代は兄に追いつけ追い越せというノリでロック的アプローチのBlack catを出してみたりしていたが、90年代になって市民権を得始めたこてこて黒人音楽のフォーマットでリリースしたThat's the way love goesが大ヒットしました。
まぁ、それもJanetのアイデアというよりジミージャムとテリールイスのアイデアかと思います。ジャネットは、普通の女の子で、プロデューサーの調理しだいで何者にもなれるところが才能だったのだと思います。
兄貴は正反対で、どんなプロデューサーについてもマイケル色になってしまう。それは、天才の宿命だったのじゃないかとも思います。黒人音楽が誰にも受け入れられるようになって、マイケルもR&B的アプローチを試みたりしました。わざわざクリスロックをフューチャーしたYou rock my worldとかね。
でも大衆が求めているのはすでに神みたいなマイケルであり、世界を救うマイケルであり、いまさら黒人的アプローチに回帰したマイケルじゃなかったと、私は思っています。
マイケルはいかにも天才のように死んでしまって、ジャネットはいかにも普通の女の子らしく、結局アラブの富豪の妻になり、なんだか悲しいものよのう、と思いました。
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