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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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-10℃のすごし方



今朝、気温が‐10℃になりましたよ。大陸性気候・ステップ気候は、温暖の差が極端で、夏は40度超え(体感温度は50度)、先週はだいたい最高20℃、最低6℃とかだった。昨日は、昼が‐2℃、晩は‐7℃、そして今朝はとうとう‐10℃。タシケントにも冬が来ましたね。

そういうわけで、どんな感じで‐10℃をすごしているか、ちょっと書いてみます。

家の中のすごし方

実は、家の中はアタプレーニエというお湯を使った集中暖房システムがあるので、そんなに寒くないです。マンションの建屋の中がほんのりあったかいので、建屋に入ればそれなりに暖かい。部屋の中も、暖房ガンガンという感じではないですが、地味にぬんわりと暖かいので、-5℃くらいまでならTシャツ一枚でも何とか過ごせます。

外でのすごし方

外は寒いので、マフラー、手袋、耳アテ付きの帽子は必須です。ズボンの下にタイツを履くことで、相当助かります。-10℃になると、外で立ち尽くしたりはしません。地下鉄の乗り場までダッシュ。地下鉄に潜ってしまえばそこはやっぱり、ぬんわりと暖かいので、大丈夫です。通勤で一番寒いのはバスの待ち時間ですね。今までは、バスの選り好みをして好きじゃないバスをパスすることもありました。しかし、寒いと一番先に来たバスに無理しても乗ります。

地下鉄はシェルター?

ウズベキスタンの地下鉄は深いです。そして、集中暖房が効いているのでぬんわりと暖かいです。これ、市民の家のアタプレーニエが何かで壊れたときに、シェルターになるんじゃないでしょうか?アタプレーニエが壊れたら、凍死する人がたくさん出るでしょう。そういうときに避難できるようになっていたらいいなぁ。

アタプレーニエのお湯工場

今日、職場に来ると、よく晴れている天気なのにサラサラと雪の結晶のようなものが降ってきました。雪じゃないのに、なんだろう?と見渡してみたら、近くのアタプレーニエ用温水工場の煙突が見えました。どうも、煙突から出た水蒸気がすぐに凍って、落ちてきているみたいです。冬っぽくていいですね。

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意外と小柄なロシア人

こちらに来てから生ロシア人をよく見るようになって、見るというより、同僚もご近所もマンションの管理人さんもロシア人なので、ある意味ウズベク人よりも付き合いが多かったりするんだけれど、ロシア人の印象は、意外に小さいな、ってことだった。

ロシア人って、なぜか白い巨漢というイメージがずっとあったのだ。でも、こちらで観察する限り大学生くらいだと明らかにウズベク人のほうがごっついし体格がいい。ロシア人の子供は背は高いけどひょろ長い子がおおい。大人になると太ったりして体格が良くなるけれど、それもウズベク人の普通程度という印象。ウズベク人は骨格がごつくて大ぶりなので、同じだけご飯を食べて運動したら、ウズベク人のほうが体格が大きいと思う。

なんで自分がロシア人を巨漢だと思っていたかというと、ロシア人のイメージがフョードルみたいな格闘家のイメージだったから、かも知れない。しかし、フョードルは実はロシアのロシア人ではなくて、ウクライナ出身なので、ウクライナ人と言ったほうがいい。

もしかしたら、ロシアのロシア人って別に巨漢じゃないのかも・・・。

それで、ロンドンオリンピックのロシアチーム金メダリストをざっと見てみたけれど、柔道やレスリング、重量挙げの金メダリストたちは名前からしてロシア系じゃない。出身地を見るとたいていロシア内のイスラム教の共和国(ダゲスタンなど)出身だ。ロシアのロシア人が得意なのは水泳とか、体操とか飛び込みとか、パワー系よりテクニック系らしい。

一方で旧ソ連のカザフスタンやウズベキスタンは、重量挙げとか柔道、レスリングなどパワー系メダリストが多いので、やっぱり、体格が大きいのはロシア人よりカフカス人や中央アジア人なんだとわかる。

ソ連時代にロシアがスポーツ大国だったのは、ロシア人がスポーツ得意というより中央アジア人やカフカス人がメダルを稼いでいた、っていうことなんだろうと思います。実際、夏季オリンピックあたりの金メダル獲得数の平均値はミュンヘンオリンピック以降58.5個(モスクワを除外しても51.3個)、ソ連解体後は27個と半分になっている。

余談。ウズベク人の体格はおっきいなぁと思うけれど、特に女子の体格が大きいと思う。170くらいの背丈の女の子はざらに存在している。そして、日本ではよくいる150センチくらいの女の子は殆どいない。知り合いの150センチくらいの女性は、20代後半なのにバスに乗ると子供料金で清算されるらしい。ウズベク女子は結婚の際に背の高さも重要なファクターになるそうなので、余計な心配をしたくなる。

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チップをあげる理由

チップってなんであげるの?

チップというものに関して、今までちゃんと考えたことも理解したこともありませんでした。

なぜなら、日本で読めるチップに関する説明文ていうのは、どこでいくら渡したらいいよ、みたいな、実践的な解説だけで、なぜチップを渡すのか、を解説している文章を読んだことが無いからです。

(わたしのかんがえたチップをあげる理由)
3つあります。

1)店員さんにチップをきちんとあげることで、その店員さんが次ぎに自分をサーブしてくれる際に、(チップ目当てで)きちんとサービスしてくれる可能性がある。
→これは、自分的には納得感がある。チップを払った分だけ見返りもある、という仏教的な考えにも通じる。ただ、リピートする(二回目がある)前提なので、通りすがりで一度しかお店に来店しない旅行者には、意味の無いチップなのでは??

2)ウエイター君が普段しないような特別なサービスをしてくれた場合に(たとえば、誕生日を祝ってくれたとか)、そのサービスへの対価として、チップを払う。
→これは、あんまり納得できないんです。だって、海外のレストランでなぜか自分の誕生日を知っている初対面のウエイターに誕生日を祝われたこともないし、特にリクエストしたこともないし、特別なサービスなんて受けた記憶がないんだもん。

3)普遍的に、レストランでウエイターをするような階層の人は、貧しいので、レストランに来店するような人は、多少の施しをする義務がある。
→これは、旅行者的にも在住者的にも納得感のある理由ではある。でも、レストランでウエイターをするような人の生活レベルって、国によって相当違うと思うんだけど。。

x)なお、チップは常識として無条件にあげるもの、という意見は、理由がよくわからないので無いこととします。

以上を踏まえると、通りすがりの旅行者は、3の理由に同意するのならチップをあげるべきだけれど、それ以外ならべつにチップをあげなくてもいい。

また、私のように在住している人間は、1と3の理由に納得するなら、チップをあげるといい。

旅行者、在住者にかかわらず、特別なサービスも受けていなくて、リクエストもしてなくて、リピートもなくて、ウエイターをするような人は貧しいと思ってもいないのなら、チップはあげなくても良い!

・・・・こんな風に理解してしまったのだけれど、どうなんだろう??

(私はチップあげますよ)
私は、ウエイターが、次回より良いサービスをしてくれるかも知れないので(1の理由ね)、きちんとチップはあげてます。実際、いつもチップをあげているウエイターは愛想がいいしちゃんと仕事してくれる。

いままで、何も考えずに形骸化した習慣としてチップをあげていたんだけれど、きちんと理由を理解していると、あげる・あげないの判断がし易いし、あげるところではきちんとあげて、不要ならあげないっていう効率化ができるのかな、って思って。

(追記)
上のことを友達にも聞いてみたところ、
-ホテル等では前もって、より良いサービスをしてもらう前提であげる
-おいしければあげる
-差し上げれば気持ちいいのであげる
-外食をする余裕があるのなら、分け与えるべき
-本来サービス料が会計に含まれていないので、ウエイターの給与はチップがある前提で低く設定されている

という意見ももらいました。


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手袋を買いに

今週、タシケントは異常気象と言ってもいいくらい、暑い。普通なら、氷点あたりをウロウロするはずの12月のタシケントが、20度を超えたのだから。

暖かいタシケントでバザールへ行き、来る冬に備えて冬の衣服を調達してきた。このためにわざわざ100ドル両替して鼻息荒く臨んだのだけれど、結局使ったのは15ドルくらいなものだった。

これ買った

マフラー 9000スム
チョルスの衣服売り場で、売り場を持ってない(通路で商売する)とび色の瞳の少年3人組みから購入。もしかしたらお母さんが内職で縫ったのかも知れないノーブランド品。

耳が隠れる帽子(トルコ製) 20000スム
輸入品なのでちょと高い。トルコ製のこういうもの、作りはしっかりしている。値段はだいたいよその店でもニットキャップが15000スムで、つばのついた帽子が20000スムくらいだったので、言い値。

羊毛手袋 12000スム
手袋は結構品質が色々で、ひどい物だと軍手を黒く染めただけのものが15000スムと言われたりした。毛で編んであるもの、安いのは8000スムくらいのがあったけれど、強引に客引かれて入った店で。最初35000スムと言われ、インドみたいに交渉した。

ウズベキスタンでボラれる?

ウズベキスタンは、バザール文化圏だし、定価ってものが無いので、来る前は結構ボラれるのかも、と思っていたけれど、思いのほかそういうことは無い。むしろ、商売なんだから、もうちょっとがんばって!と言いたくなるくらい、やる気の無い 商売っ気の無い売り子さんが多い。ソ連時代の遺産なのか、自分がウズベク語で交渉するからか、わからない。

暴ったく利の基準は人それぞれ

よく、海外にいる日本人の間では、ぼられる/ぼられないの話になるけれど、この基準には結構個人差がある。現地の人の多くが100円で買ってるものを120円で売られただけで、ぼられたと騒ぐ人もいれば、定価の範囲内でしょ、と思う人もいて、私は後者だ。

そもそも利益のパーセントは売り子さんによって違うはずなので、原価の2割乗せで売っても、5割のせで売っても、それは売り子さんの裁量なんだと思っている。

私はインドで石ころを紙に包んだものをタバコだといわれて売られたり、ベトナムでアイスクリームを定価の10倍で売られたり、おまけに抗議したら販売拒否されたり、したこともあるので、若干心が広くて、せいぜい市価の三倍くらいからならボラれたと思う。二倍なら、ちょっと高い。1.5倍だと、そういう値段設定なのだと思うようにしている。(普段日常的に買っているものなら、普段買ってる価格で買うようにしているけれど。)

そういう基準でいくと、ウズベキスタンは全然、ボる国じゃない。

ウズベキスタンで、一般的な価格の二倍以上の値段を言われるようなことは滅多になくて、せいぜい、100円のものを150円と言ってきたり、ちょっと色をつけるにしても、つつましいのだ。そういう場合、売り子さんの家計応援のつもりで50円値切るようなことはせず、そのままお支払いしている。いちいち値切るのが疲れるし時間かかって効率的じゃないっていうのもある。

今日は久々にぼられそうになった

今日、マフラーと帽子は気に入ったのが買えて、あとは手袋だけ、というとき、普段は入らない、チョルスの入り口あたりにある、「英語で呼び込みをする店」に入ってしまった。で、店の奥のほうから出してきたシンプルな手袋を、35000スムと言われて、えー?と思った。同様の品が隣の店で8000スムで売っていたからだ。

高すぎるよ、と言ったら、全然品質が違うから、全然高くないよ、と言われたので、インドで買い物をしていた時のことを思い出しつつ、結局12000スムまで下げて買った。多分、7000スムくらいでも買えるものだと思うので、5倍くらいふっかけてきたことになる。品は、ちゃんと毛糸だししっかりした作りなので、悪くはないと思う。

チョルスで客引きをしてくる店は注意ね

チョルスの入り口(両側に店が並んでる参道みたいなところ)で、以下のような店、

・英語で客引きする店
・とりあえず店内に引き込もうとする店

は注意ね。そもそも、強引に客引きする店って、外人相手ならそれなりのウマミがあることを知っている店だ。並びの全然やる気の無い、声もかけてこない店なら、はじめから安い値段を正直に言ってくる。

土産物屋などはどういう感じかわからないけれど

ウズではぼられない、ってことを書いたけれど、私は基本、生活に必要な品しか買ったことが無いので、みやげ物とか骨董品とか、そういう場所でのことはあまり分からない。今回手袋を買った店でも、ドッピ(民族帽子)はどうか、チョポン(民族衣装)はどうか、としつこく聞かれたので、どうも観光客にそういうみやげ物を売る店でもある様子だった。

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朝、タバコを買いに売店へ行ったときのこと。

朝、タバコを買いに売店へ行ったときのこと。

売店のゴミ箱に、コンドームの空き箱が捨ててあった。あ、珍しい、と思って、顔を近づけてよく見たら、コンドームじゃなくて、薬の空き箱だった。Sildenafil 100mg、シルデナフィルってナンだっけ・・・・あ、あれ!バイアグラだ!

よく見ると白地にあの男性のマーク(♂)が書いてあって、これは間違いなくバイアグラだなと思った。

ウズベキスタンには、日本やタイと比べて、性的なイメージが無い。当然、性(的なアクティビティ)はあるんだろうけれど、

・人々はお行儀が良くて
・職場やパブリックでの性的な話題も皆無だし
・避妊具なんてどこで売ってるかわからない(多分薬局?)
・そういう看板や、場所なんかも見かけないし、隠れる場所も無いし

なので、ここでは、そっち方面はどうなってるんだろう?って思うことも実はしばしばあった。

たとえば、タイだったら明らかな性産業に従事する人々が練り歩いていたりとか、日本なんて、コンビニで避妊具が買えたり、えっちな雑誌を売っていたり、チラシがあったり、変な外装のラブホテルがあったりと、明らかに性を匂わせるものが目に付く。ウズベクの若者が、日本を訪れたら、あまりのあっけらかんとした性に唖然とするであろう。

そんなことで、5ヶ月くらい暮らしてみて、ふと、ゴミ箱にバイアグラの(ジェネリックの)空き箱がぽいっと捨ててあったのを見つけて、あぁやっぱり、ちゃんとそういうことは、あるんだよね、と妙な安心感を覚えた。

なお、この国では、薬は処方箋なしで街の薬局で買えるようになっている。このシステム、日本にいるときから薬やコンタクトレンズを海外から個人購入していた私には、いいシステムだと思う。日本では薬の購入に制限があって、多くの薬は医師の診断と処方箋が無ければ買えないようになっている。普通の人には時間とお金がかかってしょうがない。

残念ながら商品名(SILなんとか・・・)を失念してしまったので、どなたか見かけたら教えてください。どこ製なのか、とか、もっとちゃんと見ておけばよかった。

(※)気になって、これを書いた後にわざわざ見に行った。商品名はSilamaksだった。私の好奇心は中学生っぽくて、お恥ずかしい。Sil(denafil)でMax!っていうネーミングであるな。

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On the Constitution Day

8日 12がつ 2012ねん


きょうは、ウズの憲法記念日。国民の休日。


だから、ちょっとゆったりと、サンドイッチをかじりつつ


どっかの芸能人ブログみたいに、2行空けフォマットで


おおくります。


この、2行、3行空けの文体って、


誰が始めたのかわからないけれど、


私てきには、スペースが無駄すぎて


ちょっと敬遠していた。


ていうか、こういう字面っていうだけで、


読む気がしなかったものだけど、


最近は抗体ができた、みたい。


日本語には行間を読むって言う


ことばが(たしか)あって、


テキストンにあらわれない


微弱なフィーリングをよみとってね☆


っていう意味だったと思う。


こんな風に行間を実際にもうけると、


無いはずの行間も、あるように、


みえたりするのかしらん。


最近は、携帯で


文書を読む人もおおく、


スクロールも大変だろうに、なんて


おもっちゃう。


さてさて、


最近、あまりウズベク語が喋れなくなった。


ウズ人と話しているのに、


とっさにロシア語を言ってしまったり、して


どうも、自分の中の優先順位が交代


したみたいで、


そんなとき、


外国人がウズ語を話すだけで喜んでくれるウズベク人、


母語に誇りをもって(いるらしい)ウズ人は


どんな気持ちがしているんだろうなー、


なんて


想像して


ちょっと後ろめたいきもちを感じたり


甘酸っぱくなったり


したので、


こんな記事を書いてみた。


注意書きどおり、これは


ほとんどフィクションで、


事実は、


ウズベク語が喋れなくなった


という一点のみ、だけである。


最近、こういう、フィクションみたいなことを


書くのがマイブームで、


おもに、泥酔状態で


書いている。


ブログを書くときに、


あまりにも妄想垂れ流しで、


事実に反したことを書くのも


申し訳ないので、いちおう、


ファクトを調べたりするけれど、


たまに、それが面倒なときに、


書きたいだけ書いて、フィクションです、って


一文を添えれば、ファクトを押さえる必要もなくて、


楽かなーとか。


そういうぐうたらな、考えです。


あと、もともと、


おれって妄想大好きなんだなー、ってことが


わかっておもしろい。


未来を、いろんなバリエーションで


想像してみるのが、楽しいみたい。


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間違った選択

太朗は悩んでいた。二年間、外国に住まわないといけないとしたら、なにを学んで今後に生かしたらいいか。勤勉で生真面目すぎる性格の太朗には、ただ外国で過ごす日々はいかにも無駄なことに思えた。

太朗の両親は歳を取って引退を待つばかり、そして、就職氷河期にはずれ籤を引いた太朗は、貯金もなくいつだって将来の心配をしていた。

「今は、ロシア語を勉強したほうが、身のためだ。なによりメシの種になる。」

なぜなら、ロシア語は、国連の公用語だし、旧ソ連諸国のどこでも使える言語だ。当然、将来性が高いと太朗は思っていた。

太朗は二ヶ月のウズベク語訓練を受けてウズベキスタンにやってきた。ウズベク語は日本人には馴染みやすい言語で、ウズベク人も外国人が話すウズベク語をとても喜んでくれた。でも・・・

太朗の心には葛藤が渦巻いていた。ウズベク語なんて、話せたって将来の飯の種にならない。それならばロシア語を覚えなければ。

ロシア語の塾に通い、いつもロシア語を使うようにしていると、徐々に難しい活用も含め話せるようになってきた。そして、同時にウズベク語を忘れるようになった。

その頃から、同僚たちの態度は変わった。

「はじめはウズベク語を話してくれたのに、最近はロシア語しか話してくれないのね」

「もうウズベク語は忘れちゃったのかい?」

彼らの瞳に浮かぶある種の冷たさに気づいた。

「お前も、あちら側に行ってしまった」
「お前はもう、仲間じゃない」

ウズベキスタンでロシア語を母語とする人々は一割程度だったが、ロシア語を覚えるにつれ、付き合う相手もロシア語話者に限られるようになった。以前、一緒に遊んだウズベク人の友達たちとは、次第に疎遠になっていった。なぜなら、以前はウズベク語で言えた簡単な単語さえも、ロシア語でしか言えなくなってしまったからだ。言葉を忘れてしまったばっかりに、交友関係さえ失ってしまったのだとしても、太朗は信じていた。10年後に飯の種にするためには、ロシア語を話さないといけない。ウズベク語を話している場合ではない、と。

(10年後の世界)
飛躍的に発展を遂げた中央アジアのトュルク語話者たちは、ユーラシア大陸全域に経済圏を延ばし、すでに、ユーラシア大陸の第二言語がロシア語を抜いてトュルク語になって久しい。おもえば、ウイグル族が中国からトュルク大帝国に移管されてから、ユーラシア大陸のステイクホルダーがトュルク人になったのだ。国連の公用語には、元中央アジア各国の言語を標準化した「トュルクラルティレー」が採用された。

アルマトィの街角では、すでにロシア語話者はすっかりマイノリティになった。「ズドゥラストヴィーチェ」と問いかけても、「アッサロームアライクム」と帰ってくる街になった。

ひとりの物乞いが、今日も信号待ちの車の窓に手を差し出し、話しかけた「ズドゥラーストヴィーチェ」

車は乾いたエンジン音をたてて走り去った。彼は思った「あのときに、ロシア語ではなくて、ウズベク語を選んでいれば・・・」

(このエントリーはフィクションです。実在する国家、人物、言語とは一切の関係がありません。)

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自己紹介

自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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