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大陸性ステップ 旅と音楽。

旅や音楽の記録。

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アゼルバイジャンカだったの?

普段から仲良くさせてもらっているロシア人の先生がいて、私はずっと彼女がロシア語を話すのしかみたことが無かったので、ロシア人かタタール人なんだろうな、と思っていたら、ある日流暢にウズベク語を話すのを見て驚きました。
 
「グザルさんウズベク語はなせるの?」
 
「もちろんよ、だって私はアゼルバイジャン人だもの」
 
「えー、へー」
 
「ウズベク語、アゼルバイジャン語、ロシア語、英語で話せるよ」
 
周りの人のことわかったつもりでもまだ知らないことがずいぶんあるんだな、と改めて思いました。
 
この前の、表情の暗い青年もチェチェンにルーツ(の一部)があると言っていたし、この人はアゼルバイジャンだし、私が知らないだけで、タシケントにもかなりカフカス人が住んでるんだな、と思いました。

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近所の大学生に会った



「邪魔してごめんなさい、迷惑じゃないですか」と2度も3度も言われながら終わらない立ち話をしました。
 
ロシア語のレッスンを終えて、風が冷たい夜の8時半、最寄のマガジン(コンビニ)でタバコを買って家に帰ろうとすると、見たことのある青年が私を見ていました。
 
彼は、たしか外交大学の学生で、流暢な英語と片言の日本語を話す、近所の人。お姉さんは日本人と結婚して神戸在住。引っ越したその日に日本語で話しかけられてびっくりして以来、一度も会わないなと思っていました。
 
でも、名前を忘れてしまっていて、電話番号も壊れた電話機に入っていたきりで、持っていません。どうしようかな、と思いつつ、握手しました。
 
何してるの?
 
「散歩ですよ、いつも散歩するんです。メトロの駅の、にぎわってるところまで歩いて、スーパーを見て、帰って来ます。」
 
そうそう、彼は若いのに暗いまなざしが印象的で、控えめな、かすれた、か細い声で喋るのが特徴。
 
ところで名前なんだっけ?
 
「モハメドです」(※仮名です、プライバシー保護のため)
 
そうそう、モハメド君、電話が壊れてあなたの名前と電話番号なくしてしまった、ごめんね。
 
「いいんですよ、また着歴残しておきますよ」
 
彼の電話には私の名前、тароと入っていたようでした。
 
夜の散歩が趣味なんだ、今はどこに行くの?
 
「家に帰るんですけど、一緒に行きましょうよ」
 
ということで、家まで一緒に歩くことになりました。
 
「今度卒業で学位をもらうんですよ」
 
おめでとう、就職先は決まった?
 
「まだ決まってません。でも働きます」
 
消え入りそうなかすれた声で話すのが印象的です。
 
5分ほどで私の玄関先まで来たので、手を差し出して握手して、別れの挨拶を
 
したつもりでしたが、
 
「もしよかったら、今からうちに遊びに来てください、母と二人暮らしなんですよ」
 
と言う。
 
さすがに、もう9時になろうという時間にひとの家に行くのは悪いので、辞退しました。
 
「そうですか、じゃあ、また次の機会に遊びにきてください」
 
それで、別れようとすると、まだついてきて、いかにも話し足りない感じに、話題をふってくるので、寒かったけど私のマンションの玄関口で立ち話になりました。
 
ウクライナの話とか、彼がベラルーシで生まれていま29歳だとか、日本の貿易に船舶が使われてるか、どうかという話。英語がとても得意なので会話に詰まることもなく。
 
どういう流れか、ルーツの話になって、
 
あなたはウズベク人なの?
 
「私はウズベクです。ウズベク語も得意です。でも母語はロシア語です。半分ロシアで、半分はチェチェンとウズベクとトルクメンだから・・」
 
一旦言葉を切った彼は、
 
「私の祖先はヒヴァの人間なんですよ」
 
といって、ヒヴァがいかに素晴らしいかを語り始めました。
 
典型的なムスリムな名前で黒髪だったので、てっきりウズベク人だと早合点していたけれど、言われてみれば、ウズベク人の標準からするとずっと薄い、青白い顔立ちをしていて、目元ももっと涼しげな感じで、ロシア語で言うところのチースティな(純血の)ウズベクというよりは、カフカス人といわれれば納得がいく顔立ち。
 
私たちの前を、彼の知り合いらしい背の高いロシア人の若者が、同じく背の高い美人の女の子の腰を抱いて通り過ぎたとき、彼は「やぁ」と挨拶をして握手をしたけれど、これからデートらしい若者は「じゃあ、また今度な」とかなり素っ気無く行ってしまったとき、20代の若い世代のあの感じ、を見せ付けられた感じがして、微妙な気持ちになった。子供のころにはわりと横並びだったのに、どうでもいいことですぐ差が付いてしまって、かたや美女と闇に消えて、かたやひとり夜中のスーパーマーケット散歩をする、あの感じ。
 
時計を見ると、もう30分も外で立ち話をしていて、いい加減寒かったし、なぜか少し不憫に見えてしまって、家でお茶を飲む?と誘った。
 
海外に在住するとき、ただ近所で知り合って何度か会ったような人を家に招くような軽率なことはしません。もともとそれを目的で話しかけてきて、家の金品を盗むことをたくらんでいるのかもしれないし、夜の街を徘徊するような青年なんて、本当は空き巣をしようとしているのかも知れない。
 
ただ、彼の場合、外交大学で働く私の日本人の知り合いのこともきちんとフルネームで知っているし、普段から待ち伏せされているわけでもないし、いざとなったら小柄な彼になら腕力でも勝てそうだし、という風に考えました。
 
でも、返事はというと、うちの最寄のインターネットカフェを指差して、
 
「いえ、今からインターネットをしないといけないから、お宅にはお邪魔できません」
 
ということだったので、安心した。でも、そもそも、もともとインターネットカフェを目指していたのなら、今日会った場所からぐるっと遠回りしていることになるので、たぶん方便だと思うのだけれど。
 
その後もなんとなく立ち話が続いて、あまつさえ、「いい人が多いけど、悪い人もいるから、ローカル(の人)と知り合いになるときは気をつけてください」とアドバイスもされ、ようやく九時半になって、また、
 
「邪魔してごめんなさい」
 
と小さな声で言われて、やっと彼は家と逆の方向へ歩いて去ってゆきました。
以前、タイの東北のコンケンという町の映画館で出会った女性が、
「私は、友達もいないし、毎週末にひとりで映画を見るのが唯一の楽しみなのよ」と言っていたのを今でも覚えています。彼女はなぜか影があって、暗い瞳をしていて、言うこともネガティブでぜんぜんタイ人らしくない人だったので、20年もたってまだその場面を思い出すことがあるのですが、今日会った彼も、底抜けに明るくてノリがいいふつうのウズベク人とは全然違った、暗い瞳をした人なので、「こういう人のこと、なかなか忘れられないのかもしれない」と思いつつ、眠りにつきました。

Вот такие дела.

やっと昨日、月曜日に必要な情報と物資が揃いました。

勇んで作業に取り掛かろうと思ったら部屋が2時まで開かないといわれ、待ちました。

ポリクリニカはだいたい朝から2時までしか稼動しないので2時に行ってもみんな帰り支度なんですよね。

なので昨日は必要な機材だけおいて撤収。

今日は朝から勇んで9割終わらせて、あとはトラブルのあった箇所と部屋が開かなかった箇所だけ残しています。

これが終われば(引継ぎは残して)導入プロジェクト完了なので私も気が急いて、今日帰宅したらどっと疲れました。早く安らぎたい。

今は空き時間はどうしてもプロジェクトの具体的なプロセスのことばかり考えているのですが、一方で帰国隊員関連の幹事仕事とか、3月で期末の書類仕事とか後回しだけど、どうしよう。


踊りたい

ロシアの結婚式だそうです。



新郎新婦がMCハマーで踊りだし
最後、ご婦人が四股を踏みはじめるあたりでちょっとお腹いたくなりました。

恋チュンの戦略



アスタナが、アルマトィが、ビシケクが、タシケントが、キエフが踊る!

国際交流基金ってすごいんだなー、と思いました。

世界に日本語を学習する人がこんなにいるんだというのが、むずがゆいくらい嬉しいです。

ーーー

友達がブログに、「恋のフォーチューンクッキー」と間違えて書いていましたが、いかがなものかと思います。

ーーー

ところで、この恋チュンのフォーマット

「楽曲に反応して世界がYoutubeに競作を投稿することで大ヒット」というのは、

PSYのカンナムスタイルや、Harlem Shakeの成功事例を踏襲したものであり、たぶんあらかじめ狙ってたんじゃないかと思います。


NASAが



なので、ぞくぞくYoutubeにあがる動画を見てうまいことやってんな、とちょっと思いました。

NASAが真似するまではカンナムスタイルは越えられないかな、とは思いますけど。


ちょっち反省した話と、Lang-8が面白い

いろいろ愚痴を書いた。
 
でもよく聞いてみると機器の購買も色々複雑で、詳細は書かないけどいろんな手段を使うようで、私は待ってるだけで良いので、それを考えるとそうそう不愉快にもなってられない、というのが実際のところ。
 
この国で「お手伝い」するのは簡単だけど、「仕事を推進」するのは実際とても大変なようだ。
 
---
 
最近また、Lang-8を使い始めて、自分でロシア語の日記を書くよりも、世界の人々の日本語の日記を添削しているほうが楽しいんじゃないかと思い始めた。
 
なんだか、添削することに妙な中毒性があって、始めるとやめられなくなる。無償でやってあげて感謝されることへの自己満足感ももちろんあるし、正しくそしてミニマムに添削することに自分の中の職人気質が刺激されるのか、いろいろ要因がありそう。
 
世界中の人がいろんなことを考えていて、いろんな変な日本語でそれを表現しているのを読むのはシンプルに楽しい。
 
一番の目的は自分のロシア語力の向上なのであんまり添削に熱中しすぎないように気をつけてる。
 
Lang-8は、一時期(L-Point導入の頃?)使いづらくなったときがあったけど、また数ヶ月ぶりに使ってみたらまた使いやすくなっていて、使った感じがスムーズだった。応援しているので今後もよい運営をしてください。SNS系のサイトって他人にひっぱられて受動的に始めることが多いのだけれど、自ら進んで(能動的に)使いたいと思うのはLang-8くらいだよ。
 
ロシア語話者のユーザーは依然多いみたいなんだけど、昔みたいに5分以内にやたらめったら添削が付くようなことがなくなった気がする。ちょっと使ってみてやめた人が結構いるのかもしれない。もっとも、それでも数時間以内には3,4人が添削してくれるから、ちょうどいい。じつは、昔はコメントや添削が多すぎて対応が面倒で、それがストレスだったときもある。
 
ロシア人のユーザーが多いのは、プロモーションのせいもあるかも知れないけど、一般的に世話好きで、他人の作文を直したりすることを気質的に好むんじゃないかと思うことがある。だって自分では殆ど日記など書かないで、せっせと他人の作文を添削しているような人が多い。

まつ~わ~まつわ~

また待っています。今度は、あるはずのWi-Fiアダプターが無かったので探している最中だそうです。
 
プロジェクトが動き出せば、やる気が出て、最後まで終わらせるぞと思うのですが、動き出したと思ったら、物が無いとか人がいないとか、そういう理由で止まってしまって、止まったら何日も待たないといけなくなるので、みるみるやる気がしぼんで、何日も待って忘れた頃になって、準備ができたからといわれ、また動き出す。でもそうそう急にやる気が出るわけじゃないから、のろのろと始めて、やっとやる気が出た頃に、また止まる。
 
ひとつは準備不足が原因なのだけれど、かといって日本みたいに全部準備が整ってから始めようと思ったって、私の職場では始まってもいないプロジェクトのために準備したり購買したりしないので、ちょっと難しいみたい。準備したとしても今回みたいに準備できてなかったってことも多い。
 
それに、購買に関しても日本で考えるよりずっと難しく、ドキュメントを作ってどこその承認をしてもらって、決済が通れば購入、という手続きがどんな小さな物品にも必要。入荷がばらばらするのはそういう理由だそうです。
 
何も予定が無いのなら、思い切ってまったく違うことを始められるんだけど、予定を控えたまま1日待って、2日待って、というステイタスだと、時間つぶしのためにWEBのニュースでも見て、何度も何度も同じ記事を読んだり、インターネット民の喜びそうな偏向した報道を読んで気分が悪くなったりして、一日ヤフーニュース読んじゃったことで自己嫌悪したり、ちょっと健康に悪い。
 
ま~つわ~
 

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自己紹介

自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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