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大陸性ステップ 旅と音楽。

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外国を理解するということ

- ちょっと滞在しただけでその国のことを理解したつもりになっている人がいる

という趣旨の、ブログ記事を読んで、それ以来心にひっかかっていた。

私の意見では、外国に住んでその国を理解する、というのが到底無理なことで、住めば住むほどわからないことが増えていく、っていうのが実情なんじゃないかと思っています。母国日本のことだって、自分の身の回りの狭い範囲でしか知らないのに、ましてや外国のことなんて。

そういう前提で、1年住んだ人と10年住んだ人では、当然後者のほうがより物知りなのだろうけど、一概に後者のほうが理解しているのかといえば、そうでもないと思える。だって、自分の見聞きした範囲が全てではないし、どうしたって立ち入ることのできない場所だってある。

私を例にとると、一年住んでみてウズベキスタンのことは色々知ったけれど、それだってどうしても外国人として住んだ自分の身の回りの、表層しかわかってないはずで、特にジェンダーの違うところ、女性の社会のことはわからないし、裏社会とかそういうのも知らないことだし、現地の様々な階層の様々な場所の人がどういう考えを持っていて、などと到底理解できていません。

だから、一概に滞在時間が短い=理解していないなどとは言えないんだろうなぁと思います。

1週間の滞在で得た理解を、1年住んだ人が馬鹿にしても、それだって10年住んだ人からしたらどんぐりの背比べだし、じゃあ、何年住めば理解できるの?っていうと、何年住んだって十分な理解などありえない。それほど異文化というのは広くて複雑で難しいのだろうと思います。

ある人が1日で得た理解なら、その人による正しい1日の理解だし、10年かけて得た理解は10年の理解だし、そこに優劣つけがたい。

もうひとつ、新興国などで変化が早い場合、5年前の知識なんてぜんぜん役に立たないという場合がありますね。5年前まで10年間の居住経験があったとしても、1年前から1年間の居住経験がある人とくらべて、どっちが正確かというと、断然新しい人の理解のほうが信用できる気がします。



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自閉な子供→ヒッピー→フリーター→IT会社員→ウズベキスタンで協力隊→無職→近所に就職。今後はたくさん旅をします。ときどき音楽の話題も。

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