アメリカのニューヨークで、イスラム国に志願して参加しようとしていた3名の若者が逮捕されたというニュースを見ました。なぜかそれが心にひっかかりました。3名の若者の国籍がウズベキスタンとカザフスタンだったからです。
ウズベキスタンでもイスラム過激派(いまでいう、イスラム国とかアルカイイダ)の活動があった時期が過去にあったそうです。そういう人たちの残党がNYにいて、問題を起こしたといえば簡単なのですが、その背景を少し考えてみようと思いました。
中央アジアには4000年の歴史じゃないけど、それに匹敵するくらいの歴史があります。平原を馬で駆けていたような、乙嫁語りという漫画にもその頃の中央アジアの暮らしが描かれています。
その後、1920年くらいに中央アジアはソ連の一部になります。そしてロシア化されました。私の聞く限り、首都のタシケントでは会議でウズベク語を使うだけで失脚してしまったそうです。今でもその頃のトラウマというのでしょうか、公式の場所ではロシア語しか使わないウズベク人(母語はウズベク語)をよく見かけます。
自分がウズベク人の家庭に生まれ、両親はウズベク語を話すのに、高等教育はロシア語で受けていて、少し難しい話をしようと思うとロシア語の語彙を借りるしかなく、高等教育を受けているウズベク人は総じてロシア語の高等教育を受けているので、たとえウズベク人同士でも少し高級な話をするときにロシア語を使うしかないという状況はなんと悲劇的でしょうか。
日本はどうでしょう。日本語の学術論文もたくさんあり、日本語オンリーで高等教育を受けることができて、日本語でなにも不自由することはありません。
もしもGHQのときに公用語が英語に変更されていたらどうだったでしょうか。今日本で公開される映画は全部英語だっただろうし、自分のお爺さん、お婆さんとも話しができない。枕草子も源氏物語も英語に翻訳されたものを読むしかない。そのような未来は想像できないと思います。でもじっさいに フランス語化されたインドシナでも、ロシア語化された中央アジアでも、そのようなことが起きてしまいました。
難しい話をするときに、外国語であり旧宗主国の言葉を使わないといけないという運命は非常に悲劇的です。民族のアイデンティティーを喪失しています。
そのせいか、わかりませんが、今のタシケントの人々を見ていると、ソ連時代を経験していない若い人ほどイスラム教に対して真面目なのです。でもそれは裏を返すととても危ないことだし、イスラム国が狙っているのはまさにそういった、アイデンティティーを喪失したイスラム教徒の若者なのでしょう。
ニューヨークで拘束されたカザフスタンとウズベキスタンの若者がいます。ISに今から加わろうという人は、国際的には非難されて当然なんですが、蹂躙された文化を背中に背負った若者たちが、アイデンティティを取り戻すためにがむしゃらに何かしようとする、その動機を私が責められるか、というと、私には彼らを責めることができません。